シーズン1 (1988)
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Episodes 50
第 4回 運命の出会い
新しい国主の誕生に沸く家臣たちの「御旗楯無、照覧あれ!」の声が、武田館に響き渡りました。晴信(後の信玄)は、まず、国の整備を大事としました。そんなある日、父・信虎が人質にした諏訪頼重の娘・湖衣姫と対面し、晴信は大きな衝撃を受けます。湖衣姫は、何者かに殺害された初恋の娘・おここに瓜二つだったからです。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第 9回 女のいくさ
祝言の翌朝、晴信(後の信玄)の正室・三条の方の所へ挨拶に赴いた湖衣姫に、三条の方は「殿との契りの様子を話せ」と冷たく迫りました。さらに、侍女の八重が「おここの怨(おん)霊であろう。正体見せよ!」と狂ったように湖衣姫の背を叩きます。屈辱を受けた湖衣姫は、「こうなれば、あの方から武田殿を奪ってやる」と決意するのでした…。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第13回 川中島への道
信濃を攻めはじめて八年、晴信(後の信玄)は小笠原長時・村上義清との決戦の時を迎えます。そんな折り、晴信の次男・二郎がはしかで失明してしまいます。それでも晴信は、北へ北へと軍を進め、信濃のほぼ全域を手に入れますが、同時に信濃の隣国・越後という強敵を目覚めさせることになります…。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第14回 尾張の異端児
晴信(後の信玄)の奇抜な戦法に、信濃の小笠原長時は「何たる数、山が揺れておる」と恐れおののき、城を撤退します。晴信は一兵も失うことなく勝利しました。その頃、今川義元の上洛を悩ませた尾張の織田信秀の葬儀が執り行われていました。そして、織田家嫡男・信長が尾張守護代を受け継ぎます。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第17回 虎との出会い
善光寺平に迫る越後の兵六千。初めて目の当たりにする越後の景虎(後の上杉謙信)の力量を見極めようと、じっと陣を構えて動かない晴信(後の信玄)。景虎は「敵が姿を見せねば、我らが姿を見せてやる」と葛尾城を陥落させました。これを見て、晴信は静かに兵を引きます。その頃、湖衣姫は結核で病の床に伏せっていました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第18回 さらば湖衣姫
晴信(後の信玄)が諏訪に駆けつけますが、時すでに遅く湖衣姫はこの世を去っていました。晴信は景虎(後の上杉謙信)との戦いに決着をつけぬまま甲斐の館に戻ります。その頃、諏訪の四郎(後の勝頼)が刺客に命を狙われました。助けを求める四郎の声は禅寺で暮らす二郎(後の竜宝)に届き、晴信と太郎(後の義信)は諏訪へ馬を走らせます…。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第20回 二百日の対陣
弘治元年春、晴信(後の信玄)と景虎(後の上杉謙信)は川中島で二回目の対陣をします。武田軍は、一万余の軍勢。景虎の軍は、村上義清ら奥信濃の豪族たちを加え、総勢一万。両軍が睨(にら)み合うこと二百日…。それは秋口まで続き、稲刈りを迎えた農民兵たちは浮き足立ちます。今川義元などの調停で、双方ともようやく軍勢を引きます。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第25回 悲劇の発端
太郎は信玄に「妻の父・義元の敵を討つように」と懇願し、信玄と言い合いとなります。この一件で、父と子の間に深い溝が生まれました。一方、信長は駿河を攻め滅ぼしたわけではないと天下を見つめていました。景虎(後の上杉謙信)は、海津城改築を知り、信玄の動きに目を光らせていました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第26回 氏康と景虎
景虎(後の上杉謙信)が関東管領の名のもと、関東制圧に動きました。信玄の妨害で、春になってようやく小田原城を取り囲みましたが、北条氏康は長期戦を睨(にら)み籠(ろう)城の準備を整えていました。景虎は「城を落とさずともよい、わしは姿を見せに来たのだ。わしは毘沙門天の化身じゃ」と天を仰ぎました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第27回 川中島血戦(1)
永禄四年八月十八日、武田軍は甲府を立ちました。景虎は法名謙信を名乗り、善光寺平を見下ろす横山城に入りました。そして、姿を見せぬ信玄を誘い出そうと、妻女山に陣を張ります。海津城に入った信玄との睨(にら)み合いは二十日間続き、そして、ついに闇と霧にまぎれて両軍が動き出します…。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第28回 川中島血戦(2)
永禄四年九月十日未明、信玄は敵を挟み撃ちにする啄木鳥(きつつき)の戦法に出ました。一方、謙信も信玄の本陣は八幡平と見抜き、松明(たいまつ)を本陣に残して妻女山を下りました。謙信の素早い動きに信玄は苦戦しますが、越後軍の後方に回った武田軍が駆けつけ、謙信は無念の思いで撤退します。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第29回 勝利と敗北
川中島血戦で辛くも勝利した信玄でしたが、その代償は大きいものでした。弟の信繁、山本勘助ら、多くの兵を失ったのです。信玄は、総大将の采(さい)配に背いたとして義信に罰を与えようとします。一方、北条は武田と手を組み、関東から越後の息のかかった者を追い出そうとしていました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第30回 義信事件(1)
信玄は川浦の湯に子・義信を同行させようとしますが、義信は拒否します。父と子の溝は深まるばかりでした。その頃、信虎は今川家の家臣たちに謀反(むほん)を煽(あお)り、寿桂尼の差し向けた刺客に命を狙われます。義信との深い溝に心を痛める信玄のもとにも刺客が迫っていました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第31回 義信事件(2)
信玄は駿河攻めを決意しますが、子・義信は正義がたたないと反発し、信玄への憎悪を深めます。そして、義信は子守り役、飯富虎昌に謀反(むほん)の意を打ち明けます。虎昌は義信にまかせるわけにはいかず、自ら信玄を討とうとしますが失敗します。「悲しいぞ!」信玄は吐き捨てるように言うのでした。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第32回 わが子幽閉
子・義信は信玄に、謀反(むほん)の張本人は自分であることを訴え、切腹を願い出ます。しかし、信玄は義信を東光寺に幽閉しました。「父を他国に追い、我が子を幽閉したおのれに、鬼のごときものを感じてならん」信玄はそう思いました。飯富虎昌は最後まで義信をかばって切腹します。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第33回 鬼美濃の死
信玄は東光寺に子・義信を訪ねました。そこで信玄は自分が父を憎んだごとく、義信もまた自分を憎んでいることを知ります。そして、二ヶ月後、信玄の四男・諏訪勝頼と信長の妹の子・雪姫との祝言が行われました。この縁組みが、甲斐の行く末を大きく変えることになろうとは知る由も無かったのです…。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第38回 小田原攻め
北条、徳川、さらに上杉…三方を囲まれては、武田の軍勢とてかないません。信玄は一旦、甲斐に引き上げました。そして、永禄十二年秋、信玄は小田原城へと兵を進めました。わずか四日で軍勢を引く信玄に、氏康は「追い討ちをかけよ」と命じます。その頃、信玄の正室・三条の方は吐血していました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第43回 八千年の春
信玄は正室・三条の死後も、休むことなく駿河平定を急ぎました。そして、子・勝頼を城に迎えました。そんな折り、将軍家から「早急に京に上れ」との書状が届きます。その夜、信玄は、弟・信繁戦死の夢を見ました。輝虎(謙信)もまた、そのことを思い出していました。両雄は見えぬ相手に、自分の生き方を語るのでした。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第44回 氏康の挽歌
信玄の軍勢は、相模の国境にまで迫っていました。そして、元亀二年春、初めて三河へ攻め入りました。一方、織田信長は、比叡山延暦寺に攻め入り、多くの僧侶などを殺害しました。その頃、北条氏康は病の床に伏していましたが、容態が悪化し、子・氏政に「甲斐と再び和睦(ぼく)せよ」と言い残して他界しました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第46回 最後の出陣
信玄は、もはや長くは生きられないと悟りました。「西に光はない、されど西に向かわねばならぬ、それがわが定め…。」信玄は、側室の里美、恵理と杯を交わしました。そして、元亀三年十月三日、子・竜宝に見送られて出陣します。二万五千の兵を従えて京の都へ。家康そして信長との戦いの中へ。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第47回 三方ヶ原の戦い
元亀三年十月三日 武田軍出陣。二俣城を落とし浜松城へと向かいます。そして、十二月二十二日、三方ヶ原へ駒を進め、信玄は浜松城を無視するがごとく通り過ぎようとしました。激昂(こう)し出陣の下知(げち)を下した家康でしたが、「山津波のごとく、一気に襲う」武田軍の前にあえなく破れ、逃走しました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第48回 信玄倒れる
野田城攻めを前に、信玄の容体が悪化しました。信玄は弟・信廉と子・勝頼に、「二つの力を一つにして光りを生み出せ。争いからは何も生まれぬ」と説きました。里美は信玄のもとへと馬を走らせ、看病にあたりました。そして、信廉が信玄の影武者として本陣に座り、野田城は一ヶ月後に落ちたのです。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
Read More第50回 神々のたそがれ (最終回)
信玄は最期の時を迎えようとしていました。朝日が昇り、いまわの際の信玄の顔に光が射しました。「甲斐に光を!」そう言い残して、信玄は伊那の地で53歳の生涯を閉じます。信玄は数名の重臣たちによって、ひっそりと荼毘(だび)に付されました。そして、天正元年九月、勝頼が家督を継ぎ、甲斐の国主となったのでした。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。
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