シーズン6 (2016)
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Episodes 28
京都 西陣
平安京の造営時から続く、日本最大の和装織物の産地、京都・西陣。時の権力者お抱えの職人集団が日本の美の礎を築き、都(みやこ)の繁栄を支えた町である。雅な世界を支える一方、職人たちが代々暮らす入り組んだ路地からは機音が響き、懐かしい昭和の風景が今も残る。織物でつながる人々の暮らしは、「西陣村」とも言われるほど。
老舗帯問屋の10代目は、蔵から発見された200年前の織物見本をもとに、新しい西陣織に挑戦。その夢を、織屋、糸染屋、糸を整え束ねる整経屋など、それぞれの専門分野を極めた職人集団が支える。また、豊臣秀吉が開いた北野大茶会を起源とする日本最古の花街「上七軒」。その華やかな文化を支えるのは、“旦那衆”と呼ばれる織物業の経営者たち。10代で親元を離れ、芸を磨く芸舞妓たちを、一人前になるまで支援する。そして、同じく西陣の地に家元をおくのは、千利休以来の茶の湯の伝統を受け継ぐ武者小路千家。西陣の染織工芸に欠かせない清らかな地下水は、茶にとっても最高の水と伝えられ、毎朝、井戸からくんだ水で茶を点てる。
千年の都の歴史が凝縮され、色濃く残る「西陣」。技を受け継ぎ、絆を育む、織物の町の物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●江戸時代の商品カタログ…
帯問屋の蔵で発見された200年前の西陣織。幻の技に挑む職人達。
●町全体が一つの工房…
20以上ある工程を職人が分業で作り上げる西陣織。その技と誇り。
●織物がつないだ地域の結束…
子どもからお年寄りまで、町をあげての区民運動会。
●日本最古の花街…
芸の道に生きるうら若き芸舞妓。彼女たちを支える西陣男の“粋”。
●おいでやす路地裏へ…
西陣は路地の密集地。秋祭り、駄菓子屋、懐かしい風景と営み。
Read More奄美
鹿児島と沖縄の中間に位置する奄美大島。
島の8割を山が覆う。島には三方を山に囲まれた入り江に150あまりの集落が点在。
集落間の行き来が簡単ではなかったために集落ごとに個別の風習が根付いている。
奄美の人たちがなにより大事にするのは先祖の教え。江戸時代、年貢に定められたサトウキビの厳しい取り立てに苦しんだ先祖たち。こうした苦難の歴史や、悲しみ、喜びの言葉を唄にして歌い継ぎ、敬い続けてきた。身近な自然に祈り、感謝し、集落の小さな共同体の中で寄り添い合って生きてきた島人たちの物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●島の豊作祈願…稲の神様「稲(いな)霊(だま)さま」を招く平地が少ない奄美の貴重な稲作地帯に伝わる儀式
●日本一土俵の多い島…150すべての集落に土俵があり行事には力自慢をみんなで楽しむ
●南の島の源平合戦…大島の南、加計呂麻島の東西に祀られる源氏と平家。同じ日に神事を開催
●山は恩人…江戸時代、戦後8年の米軍統治時代、島民を飢餓から救ったのは自生するソテツ
●放浪の唄者(うたしゃ)…路上で琴を弾き歌った里(さと)国(くに)隆(たか)。里の琴を復刻し広めようとする盛島貴男さん。
●島唄の心…番組テーマ曲を歌う朝崎郁恵さんは加計呂麻島出身。島唄に託された先祖の言葉
●ご先祖様がやってきた…お盆とは別に大昔の先祖を迎える風習。数百年前の着物を虫干しに
Read More高千穂
古事記や日本書紀に記された「天孫降臨神話」をはじめ、様々な神話や伝説の舞台となってきた高千穂。神話に登場する神々が今も町の至る所で祀られ、最近は幸せをもたらすパワースポットとして人気を集めている。地元の人々は皆、山の神、水の神など八百万の神々に囲まれて生活し、暮らしの隅々にまで神様への信仰が息づいている。
そんな高千穂の人々が最も大切にしているのは、秋の実りに感謝し、翌年の五穀豊穣を祈る「夜神楽」。毎年秋(11月)から冬(2月)にかけて、19の集落でおこなわれている。なかでも、最も古くからの伝統を残す「浅ヶ部集落」では、高千穂で最年長の舞い手の自宅が「神楽宿」になり、神様を迎え入れる。
神々の里であることを誇りに思い、今も神様とともに生きる高千穂の人々を描く。
Read More横須賀
小さな漁村に過ぎなかった横須賀。その景色を一変させたのが、幕末のペリー来航だ。複雑な入り江に守られ、水深も深かったことから、軍艦を作る日本で初めての近代的な工場が建設。さらに旧日本海軍の拠点となった横須賀は、ここで仕事をする人、住む人で人口が急増。巨大な軍港都市として発展を遂げていく。第2の転機は、日本の敗戦。軍港の主は、在日アメリカ海軍に代わり、街のネオンは英語表記に。ドブ板通りと呼ばれる繁華街は、米兵であふれかえるようになった。
そして現在、観光客が押し寄せるのが「軍港めぐり」と呼ばれるクルーズ。空母や潜水艦など様々な艦船を目の前で見られると、年間18万人が訪れる。「海軍カレー」などご当地グルメも人気に。横須賀の人々は、時代の波を受けながら、したたかに生き、国際色豊かな独自の文化をもつ街を築いてきた。幕末から平成へ、めまぐるしく姿を変えてきた横須賀。新しい時代と向き合い続ける人々の営みを見つめる。
<オムニバス項目(抜粋)>
●米兵あふれる立ち飲み屋…掟は“民主主義”。酎ハイ片手に日米交流。
●今も残る150年の記憶…幕末の造船施設が、時を超えて米軍基地内に。
●僕とじいちゃんの海…基地を臨む小さな漁港。海の恵みと生きる漁師家族。
●さようなら“信濃”…幻の空母、元乗組員と遺族が最後の会合。
●ヨコスカドリーム…この街だからこそ。エジプト人店主が取り戻した故郷の誇り。
●きょうも軍艦いっぱい…軍港ならではの観光クルーズ。横須賀出身のガイドが活躍。
Read More熱海
都心からわずか40分、伊豆半島を代表する日本屈指の温泉リゾート地・熱海。
徳川家康が湯治に訪れ、その効能の高さから歴代将軍がわざわざ江戸城まで湯を運ばせたという歴史ある温泉地だ。明治以降、時の要人や文化人の隠れ別荘の地として密かな人気を集め、ベストセラー小説『金色夜叉』により、全国に名前が知れ渡った。それ以降、熱海は日本の近代化と共に変化してきた。昭和30年以降は新婚旅行の憧れの地としてブームになり、高度経済成長期には社員旅行・接待旅行の地として大いに賑わった。そして、バブル崩壊の煽りは、この地に深刻な影を落とした。巨大化した老舗旅館やホテルが次々と倒れ、一時、街は廃墟と見紛うばかりに寂れていた。しかし、今、熱海は再び客を呼び戻しつつあるという。
番組では、東京の奥座敷と呼ばれ、日本経済の影響をもろに受けて変化してきた熱海の今を見つめ、そこに生きる人たちを通して、熱海の持つ底力を探っていく。
<オムニバス項目(抜粋)>
●温泉芸者の意地
芸妓たちが熱海温泉の繁栄を盛り上げ、支えてきた熱海。正月舞台に向け、奮闘する若手芸妓の姿を追う
●女手一つで守ってきた町の銭湯
女性一人で40年以上守り続けた、地元民ご用達の温泉銭湯
●繁栄の光と影
かつて町会ごとにあった共同浴場。そこには熱海繁栄の光と影が見える
●巨匠が作った校歌と共に
阿久悠が初島小中学校の校歌を作って35年。現在、全校生徒8人で歌い継ぐ
Read More津軽海峡
本州と北海道を隔てる海、津軽海峡。北の最果ての地といわれる青森から、北海道までの距離は、最短でおよそ19キロ。天気がよければ、海の向こうにのぞむことができる。行き交うことは容易ではないが、人々は古くからこの海に向き合いながら生活を営み、歴史を刻んできた。
江戸時代、海峡を往来する北前船によって伝わった文化は、今も青森の小さな漁村に息づく。北海道の馬として知られる道産子は、北海道開拓の時代に海を渡った本州の南部馬がルーツだ。明治時代に就航した青函連絡船は、およそ80年間、多くの人々を海の向こうへ連れていった。連絡船の終わりと共に、新たなスタートを切ったのが青函トンネル。元トンネルマンの漁師は、本州と北海道が海底でつながる瞬間を、その目で見ていた。
そして、来る2016年3月26日、新たに本州と北海道を結ぶ「北海道新幹線」が開通する。北海道側の最初の停車駅・木古内町では、古くからの神事「寒中みそぎ」に挑む若者たちが、極寒の津軽海峡に飛び込む。
夢や希望を胸に海峡を渡る人々…、大きく隔たれた海を越えて、人が紡いできた物語をお届けする。
<オムニバス項目(予定)>
●海を渡った文化…北前船によって伝えられた漁師たちの漁村歌舞伎と、中国大陸から北海道を経て伝わった美しい絹織物「えぞ錦」。
●まるで函館市大間町…フェリーに乗って函館の病院へ行き、テレビでは函館の番組が流れる、本州最北の町。
●青函連絡船・八甲田丸…長い歴史を語り継ぐのは、最後の航海を共にした元機関長。
●元トンネルマン漁師…青函トンネルを掘り進めた人々、穏やかな暮らしを営む今も、その思い出は輝いている。
●北海道の馬・道産子…北海道の開拓は道産子がいたからこそとも言われる、青函トンネル工事でも活躍した。
●極寒の寒中みそぎ…新幹線開通に胸を踊らせる人々と、豊漁豊作を願う古くからの神事「寒中みそぎ」に挑む若者たち。
●海峡が生んだ味…極寒の季節の風物詩、松前の岩海苔とり。高級のりとして名高い。
Read More常磐線
東京と東北をつなぐ北の大動脈、常磐線。品川から仙台まで4つの県をまたがり、89駅が結ばれている。300キロを超える総延長を誇る常磐線は、首都圏の日常を支え供給する役割を担ってきた。明治から戦後まで常磐炭田から産出される石炭を迅速に大量に輸送し、日々の食卓に欠かせない大地と海の恵みを運び、沿線の住宅地からは労働力を乗せてきた常磐線は、まさに近代日本の成長を支えてきた電車だ。そして都会とふるさとを結ぶ常磐線は、沿線に暮らす人々の様々な想いを乗せ走ってきた。早朝、背中に籠を背負い野菜な魚と笑顔を運んでくる行商のおばあさん、ベットタウンから都心へ通う通勤者たちが歌で絆を深める合唱団。春、線路沿いで咲き誇る梅や桜に想いを託す者たち。そして東日本大震災で甚大な津波被害を受け、原発事故に見舞われた沿線の海の人々は開通を願いながら、故郷の海の味を大切に守っている。
豊かさと人のぬくもりを運び、縁と出会いを紡いでいた列車、常磐線と沿線に暮らす人々の織りなす物語。
<オムニバス項目(予定)>
○ばあちゃんの指定席
千葉県から60年以上も常磐線を使って行商を続けるおばあちゃんの楽しみ。
○梅娘の春
常磐線開通当時から始まった水戸の梅まつり。観光客をもてなす梅大使の物語。
○常磐線沿線男声合唱団
常磐線沿線各地に拠点を広げる男声合唱団。200名を超すおじさんたちのハーモ二―。
○一山一家 永遠のフラガールたち
戦後エネルギー革命による炭坑閉山から復活を遂げた常磐炭鉱不屈の精神。
○‟常磐もの″を再び
震災の影響で水揚げの少なくなった漁港。故郷、相馬の味を追い求める水産業者の思い。
Read More山ものがたり
日本各地で山開きが行われる新緑の季節。中高年から山ガールまで、登山道は行き交う人々でにぎわう。今、国内で年に1回以上登山を楽しむ人は840万人に上る。
もともと日本人にとって、山は暮らしの場であり、祈りの対象だった。山がもたらす水の恵みは、里の稲作農家をうるおし、人々は感謝の気持ちを込めて、山に祈りを捧げる。山間の里では、暮らしに必要なものは山から頂き、生きてきた。神秘の森、巨樹、荘厳な滝、奇岩など、剥き出しの自然を抱く山は、そのものが神であり、死者が帰る場所であるとさえ考えられてきた。さらに、高尾山や富士山など、登山の魅力で人々の心をとらえる山々も。日本人と山との様々な関わりを、四季を通じて巡る物語。
<オムニバス項目(予定)>
●月山…麓の稲作農家は早春に山頂の奥宮に詣で作柄を占い、秋に感謝を捧げる。
●高尾山…都心から50分、登山客数日本一の山。そこは豊かな自然のワンダーランド。
●霧島連山…百名山のひとつ、韓国岳。気まぐれな天候に迫られる決断。
●比婆山…亡き人の魂は山へ。三十三年に一度の大神楽で山へと送り出す。
ほか
Read Moreしまなみ海道 島物語
瀬戸内海を通せんぼするように散らばる芸予諸島。1999年、6つの島を7つの橋がつなぎ、本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」が全通。以来、海上50mの空中散歩が楽しめるサイクリングコースとして注目を集めている。道の魅力もさることながら、魅力的なのは、それぞれの島の風土。山がちで平地が少ないのは同じだが、全く違う人々の営みがある。因島は造船の島、生口島はレモンの島、大三島は大山祇神社を抱える神の島、伯方島は海運業の島、そして伊予大島は村上水軍を受け継ぐ漁師の島。
島を取り巻くのは、干満の大きな瀬戸内ならではの急潮流。この潮が各島の個性を培った。また、よそ者には手に負えない海だからこそ、史上最大の海賊、村上水軍が一帯を支配した。田畑の豊かな実りはなくとも、造船、海運と海から恵みを得てきた芸予諸島の人々。時代の荒波にさらされながらも潮を読みしたたかに生きてきた海の人々の物語。
<オムニバス項目(予定)>
●海上50mの空中散歩…世界7大自転車コースに認められた空と海の間を疾走する爽快感
●村上水軍の海に生きる…最強海賊村上水軍が活躍した日本屈指の急潮流で漁を続ける老漁師
●船が生まれる日…造船マンの晴れ舞台、大型貨物船の進水式
●島おこし事業部卒業の春…過疎の島の活性化に努めた高校生達の卒業の瞬間
Read More筑豊
福岡県の中央に位置する筑豊。江戸時代から石炭の産地として知られ、明治以降、中小規模の炭鉱がひしめくように掘られた。最盛期には国内出炭高の50%を担い、日本の近代化を、地の底から支えた。
いまも残る「ボタ山」は、炭鉱の産業廃棄物を積み上げてできた山。そのふもとに暮らす人びとは、炭鉱住宅での日々を懐かしげに振り返る。そもそも「筑豊」という呼び名は、明治初期に石炭関連業者の団体名として使われたのが最初で、石炭とともに歩んできたその風土を現している。
筑豊の人びとの気質を表わす言葉がある。「川筋かたぎ」。川筋の川は、筑豊を流れる遠賀川。かつては石炭輸送の大動脈だった。荒っぽいが、底抜けに明るく、明日を憂うことなく、情に生きる。そんな「川筋かたぎ」は、死と隣り合わせにある炭鉱で育まれた。
筑豊は、ボタ山の風景はもちろん、川にも、商店街にも、歌にも、劇場にも、祭りにも、炭鉱で働いてきた人々の心が生きている。石炭産業の盛衰とともにあった筑豊の光と影を描く。
Read Moreブラジルタウン大泉町
人口4万人のうち4千人以上がブラジル国籍という群馬県大泉町。日本でいちばん、ブラジル人の比率が高い町だ。家電や自動車部品などの工場がひしめく企業城下町。バブル経済期に深刻な人手不足を補うため、日系ブラジル人の労働者を積極的に受け入れたことが発端だった。
町に入ると、ポルトガル語の看板があふれ、異国情緒あふれるスーパーには日本では珍しい野菜や豆、肉などブラジル食材が並ぶ。毎月、サンバのイベントが開かれ、町民たちはラテンのリズムに酔いしれる。
様々なあつれきを乗り越えて、日本人とブラジル人が共に手を取り生きる町。なぜ大泉町は、日本一のブラジルタウンとなることができたのか。日本とブラジル、2万キロを超えた絆の物語を、リオデジェネイロオリンピックを前に見つめていく。
<オムニバス項目(抜粋)>
●ブラジルへGO!…地球の裏側ブラジルを日帰りで体験する、大泉町のバスツアー
●ニッポンのお母さん…故郷を離れ、出稼ぎにきた日系人たちを温かく迎えるアパートの大家さん
●戦争が変えた町…伝統的な農村地帯だった町が、戦争によって劇的に風土を変えられる
●故郷の味…老夫婦が育てたブラジル野菜が、人々の心をいやす
●教会の友情…町の教会を舞台に、ブラジル人の牧師と日本人の警察官が育んだ友情物語
Read More宝塚
明治時代、ひなびた温泉街だった宝塚はある実業家が思い描いた「夢」によって大きく変貌した。その男の名は小林一三。阪急・阪神グループの創始者小林は、大阪から宝塚へ鉄道を敷設。沿線に大規模な宅地開発を行い、一般庶民に夢のマイホームを提供した。さらに、少女歌劇団を結成し、誰でもスターに会いに行ける大衆娯楽を生み出した。宝塚歌劇の代名詞といえるのがどの観客席からも見ることのできる大階段。劇場に集まったすべての観客に「夢の世界を堪能してほしい」という小林一三の思想が反映されている。
それから100年。電車と二人三脚で歩んできた寺。歌劇ファンが高じて宝塚に移り住んだ女性。華やかなステージで使われるカツラを作り続ける美容院。歌劇の素晴らしさを伝え続ける元タカラジェンヌ。この街で昆虫採集を通して自然への理解を深めていった漫画界の巨匠。
阪急電車とともに発展してきた宝塚とそこに集う人々の姿を描く。
Read More秋葉原
時代の最先端の町、秋葉原。その表情は、“家電の都”、“パソコン発祥の地”、“オタクの楽園”、“アイドルの聖地”、“爆買いのメッカ”…と様々だ。
今や一日10万人の人でごった返す秋葉原だが、そもそもこの地は明治2年の大火を受けて作られた火除地だった。そして戦後には闇市が広がり、電子部品などを販売する店舗が集まったことが、今日の電器街の元となった。その後、高度経済成長とともに電子部品などを扱う店舗が急増し世界有数の電器街として発展してきたのだ。
いま秋葉原は、時代の移り変わりとともに常に新しい社会現象を生み出す街に変貌している。世界中からくる外国人観光客にとってのお目当ては、秋葉原が誇るポップカルチャーだ。アニメのフィギュアやメイドカフェなどのオタクワールド。さらに“地下アイドル”は、夢を味わわせてくれるワンダーランドとしてアキバの顔となっている。その一方で、一歩路地に入ると意外なことに下町風情が残る町並みに。今も生粋の江戸っ子たちが固い結束で街を守っている。
あらゆるものを受け入れ、取り込み、独自の形を生み出してきた街、秋葉原。進化し増殖を続ける街とそこに集う人々の今と昔を見つめる。
Read More北九州
北九州の人は言う。「この街の鉄が、日本の発展を支えてきた。」―
洞海湾に面した小さな漁村で官営八幡製鐵(てつ)所が操業を開始したのは1901年。日露戦争、第一次世界大戦を経て鉄鋼需要が伸び、街は製鉄所を中心とした重化学工業地帯として発展。太平洋戦争末期に空襲で甚大な被害を受けたものの戦後復活し高度成長をけん引した。
製鉄所の高炉は休みなく鉄を作り続ける。そのため街には二十四時間、三交代制勤務の労働者があふれ、さまざまな風俗・文化が生まれた。男たちが昼から英気を養ったのは店先で飲める酒屋「角打ち」。彼らのための24時間の食堂やスーパーも誕生。戦後できた日本初の競輪に人々は熱狂し、労働者たちのアマチュア劇団も数多く生まれた。
そうした発展の陰で人々は公害に苦しみ、オイルショック後の鉄冷えと呼ばれる深刻な不況も経験、80年代からは人口も減り始めた。しかし人々は逆境に立ち向かい、誇りを持って生きてきた。今も鉄づくりの最前線で誇りを持って働く男たちと、街の文化を消すまいとあらがう人々の姿を通して、鉄の街・北九州の100年を描く。
Read More案山子
秋の実りの季節、日本の田園風景に昔から欠かせなかったのが“案山子”。人間の代わりに田んぼや畑ですずめやカラスなどの害獣を追い払うために作られた人形だ。かつては一本足で竹や藁で作られたものが定番だったが、昨今ではその効果を上げるため様々な素材や形状のものも出てきている。
そもそも案山子は古事記に登場する久延昆古(クエビコ)という神だといわれている。足が不自由で、全てを知り尽くしている知恵の神であり、田の神、五穀豊穣の祈願神だ。しかし、現在では農業従事者の高齢化や後継者不足などから農村地帯は荒廃し、近年ではその姿も見かけなくなってきている。それとともに、案山子が担う役割も様変わりしてきている。徳島県の限界集落では、66歳の住民女性が手作りした、かつての村人たちの暮らしを再現した100体もの案山子が集落に飾られている。当時の賑わいを懐かしみ作ったものだが、その光景が話題を呼び、インターネットで知った外国人などの観光客も押し寄せるようになっている。一方、山形県上山市で45年にも渡って続けられている“案山子祭り”では、農村から発信するメッセージが込められた案山子が多数出品されている。
秋の風物詩として、日本人が長年親しみ続けてきた“案山子”。秋の日本各地を巡り、時代を超えて私たち日本人が案山子に込めてきた思いは何なのかを探ってゆく。
Read More瀬戸の島々
700以上の島々が浮かぶ瀬戸内海。穏やかな海とは裏腹に、陸から孤立し、限られた資源しかない島の暮らしは決して便利なものではなかった。それでも島人たちは、不便な暮らしを豊かな暮らしに変える知恵があった。
一見穏やかに見える瀬戸内海も、海の中は激流。点在する島々が海を狭めるため、全国でも最も潮流が速い海域だ。その荒波で磨かれた操船技術を活かし、江戸時代には島人は北前船の水夫や幕府の御用船方となり海運業で栄えた。島と陸の流通が進むと、島では石工や、花の栽培、イワシの煮干しの加工といった、外との取引を主にした産業が発展していく。そうして島が外とつながりを持つことは、孤立した島が生きていくための知恵でもあった。
外につながりを求める一方、島人たちは独自の文化や暮らしを守り続けてきた。航海の安全を祈り、火を裸足で渡る祭りや、夏になると島を離れた人達も戻って一族総出で励む漁、自家製の野菜と取れたての魚の物々交換が行われる島の集会場など、瀬戸内海の島には日本の原風景が残されている。島人たちは不便なはずの島での暮らしに、“心豊かな暮らし”を見出していた。
そうした島の豊かな暮らしがいま、新たに見直されている。東京や大阪などの都会から、島の暮らしに憧れ、移住する人達が増えてきたのだ。瀬戸の島々を舞台にした現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」をきっかけに、島人たち自らが島の歴史を伝える動きも高まっている。
不便でありながらも、日本の原風景が残る瀬戸内海の島々。どこか懐かしくて、どこか豊かさが感じられる備讃瀬戸の島々の暮らしを見つめる。
Read More十勝
北海道南部、見渡す限りの広大な平野に、パッチワーク模様の畑が広がる十勝地方は、食料自給率実に1200%の農業王国だ。農家1戸あたりの耕作面積は全国平均の24倍。大型機械を駆使するアメリカ式の大規模農業を導入し、“日本の食料庫”となった。
十勝の基礎が築かれたのは、明治16年のこと。三方山に囲まれ、地理的条件に恵まれなかった十勝は政府から注目されず、屯田兵も配置されなかった。その十勝の開拓を進めたのが依田勉三という青年が設立した民間会社「晩成社」だった。十勝の人々は、官に頼らず切り開いた“自分たちの土地”で今も“新しいこと、大きいこと”へと挑戦し続けている。広大な小麦畑で人々が夜通し協力し合いわずか数日で刈り取る秋の収穫。60代で起業し“理想のガーデン”作りを追い求める89歳の女性現役社長。開墾の友・農耕馬をより強く、より大きく育てて競いあうばん馬レース。今年、台風によって大きな被害を受けながらも、たくましく前を向く、農業王国・十勝の人々を描く。
Read More飛騨高山
四面を山に囲まれた人口9万人の岐阜県高山市。良質で多種多様な樹木の存在が、この町に木材に関わる産業をもたらし、「飛騨の匠」を生みだしてきた。かつては平城京や平安京の都造営にも飛騨の宮大工は貢献、それによって、都・奈良の最新文化を飛騨に持ち帰り、魅力的な町が作られていった。現在も飛騨には宮大工が多く、鎌倉や長崎など全国の社寺を担っている。
こうした“木の文化”の象徴とも言えるのが、毎年10月9日と10日の2日間に渡って行われる「秋の高山祭(八幡祭)」だ。祭りを彩る11基の豪華絢爛な「屋台」(重要文化財)は、宮大工が組み上げた複雑な構造に、飛騨の職人によって彫刻や漆箔が施されたもの。三百年近く修繕しながら受け継がれている。
飛騨高山の祭りを支える人々と、その背景にある分厚い歴史と文化の蓄積を、彩り豊かな秋の風景に中に描いていく。
Read More渡し舟
ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。その流れを横切り、岸から岸を往き来する「渡し舟」。川の国・日本には、かつて数多くの渡し舟が存在した。舟は人間だけでなく、物資や耕作の牛馬も運ぶ、まさに生活の足として多くの暮らしを支えてきた。
しかし、陸運の発達で川には橋が架けられ、渡し舟は次第にその役目を終えて行くことになる。それと引き換えに、今も各地に残る渡し舟は多くの人に非日常を届け、消えた渡し舟はかつての日常を今に伝える。生まれ育った故郷へ帰る人、往時の姿を守ろうとする人、苦難の歴史を語り継ぐ人、対岸からの呼び掛けに今日もせっせと舟を渡す人。
彼岸と此岸をつなぐ渡し舟が織りなす物語。
Read More新宿 花園神社界隈
11月の酉の市。40万もの人々で賑わう新宿・花園神社。江戸、元禄から新宿の総鎮守が置かれてきた。花園神社には、もう一つの顔もある、それは芸能の神様。江戸の頃、何度も大火で拝殿を焼失したが、そのたびに境内で芝居や、歌舞伎、浄瑠璃の興業を行い拝殿を再建。いつしか芸能のご利益があると信じられるようになった。今も境内で芝居を行う一座。そして芸能の神に引き寄せられるようにやってきたのは関西お笑い界の雄、吉本興業。お膝元には、昭和レトロな飲み屋街のゴールデン街。戦後、闇市の人々が店を構えたことに始まるゴールデン街。昭和30年代、食い詰めた俳優達が店を出し始めると、やがて、きら星のような才能が集まる文化の発信地に・・・。江戸の昔から様々な人々を分け隔てなく受け入れ、戦後の再開発の荒波を乗り越えてきた新宿・花園神社界隈。そのディープな世界を旅する。
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