シーズン5 (2015)
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Episodes 31
四国遍路
1400キロを40日かけて巡る四国遍路。弘法大師、空海ゆかりの88のお寺を巡る旅は、開創1200年を迎え、いままでにない賑わいを見せている。お大師様とともに歩き、祈りを捧げれば、どんな願いもかなうとされるこの遍路は、時に「おしこく病院」と呼ばれる。
大切な人を亡くし供養のためにまわる人、変えられない過去を悔いる人、都会での仕事に疲れた人。日常とは異なった世界の中をたどるこの道を歩ききれば誰もが生き返ったようになって、もとの暮らしに帰って行くといわれる。
この霊験あらたかな「道」。そこには、実は様々な仕掛けがある。歩き始めの徳島の田園風景で心が解放されたかと思うと、3日目に突如現れる険しい山道。そこを乗り切った後には、高知の海が広がる。その長く果てしない海岸線の歩きは、自分と向き合う貴重な場となる。そして愛媛に入ると道は再び山里をたどる。道中、お遍路さんの誰もが心打たれるのは、地元の人たちの「お接待」。そして、終着の香川は、お遍路さん、それぞれの願いが結ばれる「結願」の地。この地には、道半ばで倒れたお遍路さんたちの眠る墓が数多くあり、地元の住民がいまも大切に守っている。
四国の「自然の絶景」「地元の人たちのまごころ」「お大師様の功徳」。千年をこえる長い年月をかけて、四国の人たちが作り上げ、育んできた仕掛けが、お遍路に来る誰をも癒やしの心持ちへと導くのだ。さあ、ちょっと元気な心持ちをさがして、四国遍路の旅へ・・・。
Read More廃墟
朽ち果てた柱、錆びたドアノブ、草木に覆われた残骸...
近代日本の発展の礎となり、時代の移り変わりとともに役割を終えた建造物、「廃墟」。荒れ果て、打ち捨てられ、物悲しさ漂うが、映画や小説の舞台となり、またこの地を巡るツアーが開かれるなど、いま静かに廃墟ブームが起きている。
戦後の復興を支えた炭坑都市、雲上の楽園とまで呼ばれた東洋一の硫黄鉱山、バブル経済の崩壊で夢と消えたテーマパークやリゾート施設、ダムに沈む日を静かに待つ温泉街。
戦後70年、日本人が何を夢見、何に破れ、捨て去ったのか、列島縦断「廃墟」の旅。
<オムニバス項目(抜粋)>
●摩耶観光ホテル(兵庫県)〜 探訪・日本一美しいといわれる、廃屋
●軍艦島(長崎県)~ 元島民たちが今も抱くふるさとへの想い
●川原湯温泉街(群馬県)~ ダムに沈む温泉街で、灯をともし続ける一軒の宿
●小与島(香川県)〜 戦国時代から続いていた石切場の廃墟
●化女沼レジャーランド(宮城県)~ 今も遊園地再建を目指す男のロマン。
Read More漬物
白いごはんといえば、食べたくなるのが「漬物」。
日本人の食卓に欠かせない漬物は、有史以前から作られてきた長い歴史をもつ加工食品だ。食材を漬け込むことで保存性を高め、しかもおいしくすることができる。「漬ける」という手段を獲得したことは、人々が生きる大きな助けとなった。
そして、日本列島の変化に富んだ地形と気候が、地方ごとに特徴のある多様な漬物の味わいを生み出してきた。その土地でとれる食材に塩を入れ、発酵の力を借りて人は漬物を漬ける。寒風にさらされ、煙でいぶされる大根。色を変え、形を変えどんな場所でも生育するかぶは、各地で人々の命を繋ぐ糧となってきた。時に漬物は、生活を助ける現金収入ともなった。100年受け継がれてきたぬか床は、今も家族の食卓を笑顔にする。
作物を収穫できなくなる冬を越すために欠かせない保存食、漬物。
秋から冬へ、漬物を通して、それぞれの土地で生きる人々の姿を見つめる。
<オムニバス項目(抜粋)>
●北海道・にしん漬 にしん漁で繁栄した町で、今もにしん漬を囲んで泣いたり笑ったり。
●福岡・ぬか漬 100年続くぬか床をもつ小倉の4世代家族。
●長野・野沢菜漬 スキー客の口コミで全国区になった本場だけで味わえるおいしさ。
●広島・広島菜漬 戦後を生る支えとなった地元の特産品。
●秋田・いぶりがっこ 味を競い合うライバル物語。
Read More吉野川
徳島を東西に貫く吉野川。全長194キロ、四国一の流域面積を誇り、日本有数の多雨地帯に水源がある。「四国三郎」の異名を持ち、古くから人々の暮らしに恵み、そして災いをもたらしてきた。この暴れ川に飲みこまれた暮らしは数えきれない。治水技術が発展した現代でも吉野川はたびたび氾濫。60万人が暮らす流域に大きな被害をもたらしてきた。
そうは言っても、地域が栄えるきっかけになったのも、また吉野川。豊富な水の流れは肥沃な土を運び、徳島が誇る藍染めなど豊かな実りをもたらしてきた。暴れ川との付き合いには慣れている阿波の人々。暴れ川を手なずけながら、暴れ川がもたらす恵みを享受し続けている。
徳島の中心を流れる大河・吉野川沿いの暮らしと文化を見つめ、たくましく、したたかに生きる人々を描く。
<オムニバス項目(抜粋)>
●“かすがい”は鮎
鮎料理屋の看板娘に、釣り師が惚れ込んで37年。清流の女王を追い求める夫婦の日々。
●日本一の激流
激流に魅せられた男は妻子を残し、ラフティングの聖地・吉野川へ単身赴任。
●暴れ川の贈り物
全国を席巻した阿波の「藍」。19代目の藍師に冬の兆しを知らせるのは吉野川のカモたち。
●悲しみを川に流す
河原に石を積み上げただけの「水墓」で、亡き人をしのぶ。流域に残る初盆の風習。
●暴れ川と生きる
国内初、住民投票による公共事業の撤回。人々は暴れ川と生きる覚悟を決めた。
●高さ4メートルのお地蔵さま
作物が流されても、高地蔵さんが見ていてくれればまたがんばれる…。
Read More小樽
年間700万人が訪れる北の観光都市・小樽。旅人を魅了する運河やノスタルジックな町並みは明治・大正時代に建てられたもの。運河からは道内でとれたニシンや石炭が昼も夜もなく運び出され、小樽は「北日本一の港町」として繁栄を極めた。
しかし戦後、ニシンは姿を消し、炭鉱は山を閉じた。小樽は「斜陽の街」と呼ばれ、運河もドブ川と化した。街を二分する「運河埋め立て論争」を経て、街はよみがえる。かつての商家や倉庫では、若者たちが雑貨屋やビアホールを始め、浮き球として発展したガラス技術は、「ガラス工芸」へと進化した。
役割や姿を変えても街が最も賑わった頃の“誇り”や“技術”は、今も街に深く息づいていている。繁栄の記憶をもとに今を生きる街・小樽の営みを描く。
<オムニバス項目(抜粋)>
●古くて新しい街
かつての穀物倉庫はビアホールに。商家はおしゃれな雑貨屋に。過去と現在が交じり合う独特の街並み
●お寿司狂騒曲
小樽の寿司屋に訪れる半数以上は外国人。100人のタイ人を迎える女寿司職人の奮闘
●輝く街
乙女心をくすぐるガラス工芸。その原点は漁業で使われる浮き玉にあった
●あの人が愛した小樽
昭和の大スター・石原裕次郎を育てた老舗料亭と小樽の賑わい
●運河をめぐる攻防
街を二分した運河埋め立て論争と、そこで戦った画家の物語
●群来 よみがえる海
街の繁栄の礎となったニシン。半世紀以上姿を消していたがここ数年帰ってきた
Read More玄界灘
古代から大陸との外交・防衛拠点だった九州北部の目の前に広がる玄界灘。対馬海流が流れ込み大陸からの風が吹き込むこの海は、荒海であると同時に世界有数の漁場。その沿岸地域には大陸から米が伝わり古くから稲作文明が発達してきた。ここは豊漁豊作地域だ。
この“豊かな地”では、漁業の跡継ぎも嫁の来手にも、今だ苦労することがないという。海では常に死と隣り合わせであるため、神への信仰が篤く、人々の結束は固い。その伝統的社会と神への祈りは、今へ脈々と受け継がれている。
海は男たちの縦社会。若い頃・幼い頃から責任ある立場をとらせ地域への忠誠意識を根付かせる。その後で、男たちを支える女たちもこの風土ならでは。男尊女卑の裏側には女性を労う男たちの愛情も見え隠れ。海をめぐる男と女の人情物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●古代海人族の末裔(宗像鐘崎)…
3千年前から玄界灘を制す海人族の末裔は男も女も縦社会。
●よか嫁っぷり(向島)…
新郎宅から嫁の実家へブリを贈る玄界灘全域の風習。鰤の大きさで嫁評価。
●目隠し女相撲(福岡・糸島)…
七福神の頭巾を被った女相撲。一寸先は闇を笑い飛ばす。
●男正月(福岡・宗像)…
正月料理は男の仕事。サメの干物とホヤの味噌漬けはここだけの祝い膳。
●玄界灘をゆりかごに(唐津)…
男たちの晴れ舞台の裏側には厳しい縦の規律。義理と人情が。
●玄界灘の女(佐賀・波戸)…
45年前近所の主婦が作ったサザエ小屋。長年続けられた秘訣が。
●玄界灘の女神(宗像大島)…
大陸との要衝に鎮座する女神。大船団の護衛で海を渡る。
Read More房総 花物語
1年を通じ気候が温暖な房総半島。黒潮洗う半島南部の海岸沿いでは、冬が始まり12月から3月にかけ、キンセンカ、ストック、菜の花…さまざまな花々で彩られる。
この地では、人々の暮らしの傍らに、常に花があり続けた。海に生きてきた夫を50年、花作りで支えてきた妻。異国の花に恋をして、82歳になった今も花の品種改良に情熱を傾ける古老。ローカル線の沿線では、故郷を思い、亡き妻を偲んで、菜の花の種をまく保線作業員も。
花を慈しみ、作り、育ててきた房総の人たち。季節をひと足もふた足も先取りして、美しい花を届ける千葉県・房総の冬から春にかけての物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●夫婦の花畑...
結婚50年の夫婦が守る海辺の花畑に秘められた半農半漁の営み。
●見てよし、食べてよし...
美しいキンセンカ。実は天ぷらも美味。五感で楽しむ房総の春。
●故郷を飾る菜の花...
ローカル線沿線に、故郷に帰ってきた人たちが植えた黄色の絨毯。
●絆育むビワの花...
冬に花をつけるビワを目指し越冬にやってくる養蜂家同士の絆と幻の蜜。
●砂に咲くヒマワリ...
半島の南端で砂と戦ってきた一家三代が咲かせる幸せの花。
Read More上野
東京の歴史と文化の中心地として知られる「上野」。実は、上野は一年を通じて多彩な顔を持つ賑わいの街でもある。春は花見名所の上野公園、年の瀬といえば買い物客がごった返すアメ横…。美術館や博物館ひしめく芸術の中心地でもあり、上野動物園はパンダ目当ての子供たちの憩いの場。そして昭和30年代の集団就職列車以降、東北の玄関口という顔もある。
そもそも、江戸時代に徳川将軍家の祈願寺・寛永寺が建立されて門前町が開け、この一帯が「上野」と呼ばれるようになったのが始まり。その後、明治維新の上野戦争で江戸唯一の戦場となり、焼け落ちた跡が上野公園として生まれ変わった。そして、美術館や芸術大学、動物園などが作られ、以来現在に至るまで人々を引き付ける街であり続けてきた。
東北から、中国から、インドから…多様な人が集う町・上野。混沌としていながらも、どこか匂い立つ故郷の香り。この地を愛する人々の情景を描き、上野の賑わいの源を探ってゆく。
<オムニバス項目(抜粋)>
●今も残る闇市の風情“アメ横”…
年末5日間で200万人もの客が来るアメ横、その商売魂に迫る。
●“桜の園”…
千本以上の桜が咲き誇る東京一の花見の名所・上野の始まりの物語。
●恋するインド人…
500軒を超える宝石店ひしめくジュエリータウン。古株の宝石商のインド人が日本にやってきた理由は…
●上野の“スター”…
1972年に中国から贈られたパンダ。二世誕生に一喜一憂する商店街
●“あゝ上野駅”…
今も上野駅は心の故郷。集団就職でやってきた若者たちの思い
Read More飛鳥
1400年以上前、推古天皇によって日本で最初に都がひらかれた奈良・飛鳥。明日香村を中心とする田園地帯は、石舞台、高松塚、キトラ古墳など数々の遺跡が古代史を彩り、今も土の下に未知の歴史が眠る神秘とロマンあふれる地だ。飛鳥で長く暮らす人たちは、土の下から、謎の石造物から、杜を囲む木々から、今も「不思議な声」が聞こえるという。
山々に囲まれ、そこから流れる川が棚田をうるおす飛鳥は、豊穣の地・安住の地として100年にわたって都がおかれ、日本で最初に仏教が大陸から伝わった。今も人々は八百万の神と仏を家々で大切にまつり、猿石など謎の石造物に祈りを捧げ、藤原氏ゆかりの神社では華麗な神饌をつくり続ける。そして古代の謎に魅せられた村人たちが、今も毎日、発掘に汗を流し土の中の古代史をひもといていく。不思議な声に導かれながら、連綿と続く歴史の物語の一員になっていく飛鳥の人々。素朴な暮らしの中に息づく、1400年の古都物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●石室からささやく、蘇我稲目… 蘇我氏ゆかりの住職と寺
●鎌足さん、召し上がれ… 神となった、藤原鎌足に捧げるご神饌フルコース
●新発見・古代人との知恵比べ… 今も続く歴史大転換の舞台「槻の木広場」発掘
●夢枕に四神が舞った… キトラを発見した「七人の古墳侍」と呼ばれる古老たち
Read More新潟 山古志
雪国・越後。中でも、半年近くを3メートルもの雪に閉ざされる山間の集落「山古志」。厳しい気候と地理環境の中で、独特の雪国精神が育まれてきた。
古くは江戸時代の書物「南総里見八犬伝」にも登場する「牛の角突き」。牛を家族のように大切にしてきた人々が追い求める理想の勝負の形は「引き分けにする」こと。互いの牛の健闘を喜び合うことが良いとされてきたのだ。
真っ白に閉ざされた世界で、「色」を渇望した人々が生み出したのは「泳ぐ宝石」。江戸時代後期、冬場の食料として飼われていた真鯉が突然変異したのを見逃さず、人々は競い合うように掛け合わせを始めた。今や、冬の間も世界中からバイヤーたちが訪れる、錦鯉の聖地となっている。
こうした文化を育んできた山古志の人々の根底にあるのは、「ざまったれ=弱虫」と言われることを忌み嫌う精神。冬場、危険な峠越えをしなければ隣町の病院にもいけなかった人々は、日本一長い手掘りトンネル「中山隧道」を貫通させた。
かつて出稼ぎに行く男たちの代わりに雪掘りをしていた女性たちは、今は楽しく「お茶飲み」をしながら厳しかった時代を振り返る。そして、春が待ちきれないと、吹雪の中でフキノトウを探しに行く。全村避難となった10年前の新潟県中越地震をも乗り越え、降りしきる雪の世界を力強く楽しむ人々のひと冬の物語。
Read More善光寺
“遠くとも 一度は参れ 善光寺” 古くから日本全国から厚い信仰を集めてきた善光寺。ご本尊の阿弥陀如来は、仏教伝来と共に百済から海を渡ったという日本最古の御仏。しかし、ご本尊は「絶対秘仏」。誰もその姿を見た事が無い。人々は目には見えない如来様を心で感じ、深い祈りを捧げてきた。1300年に渡り、宗派を問わず、男も女も、誰でも受け入れてきた庶民の寺。そこには善光寺ならではの祈りの姿が。毎朝のお参りを24年間続ける女性、如来様に捧げる木遣りの歌、旅人を迎えるもてなしの宿坊、毎年春に亡き親に会いに東京からやってくる老夫婦…。今年、数え年で7年に1度、特別な春を迎えた善光寺。本尊の分身である「前立本尊」の“御開帳”。ありがたい如来様との結縁を求め、およそ2か月間に700万人もの参詣客が訪れる。
ここに来れば誰もが極楽往生をとげられる。御開帳に湧く善光寺の楽しくもありがたい「祈り」の物語。
Read More萩 津和野
西日本を代表する旅行先、山口県・萩と島根県・津和野。江戸時代、長州藩と津和野藩という二つの藩が置かれ、現在も県境をまたぐこの町は1970年代の「ディスカバー・ジャパン」による旅行ブーム以来、いわば一つの観光地として多くの旅人を迎えてきた。
ともに城下町のたたずまいが人気だ。白壁とたわわに実る夏みかんの風景が続き、明治維新をなしとげた志士たちの生家や旧宅を大事に守る萩。そして津和野は、張り巡らされた水路を鯉が悠々と泳ぎ、水の恵みを存分に受ける暮らしを受け継いでいる。
番組では、二つの町の彩りある景色と、その一方、厳しい自然や苦難の歴史に翻弄されながらもたくましく生きてきた風土を描いていく。
<オムニバス項目(抜粋)>
●水の都の大家族〜津和野・鯉とともに暮らす
●遠くにありておもう〜萩・高杉晋作生家に住む
●渓流に築く石垣〜津和野・山中のわさび栽培
●女の浜とお地蔵さん〜萩・ふぐ漁の浜を守る女たち
Read More神戸
港町・神戸。その歴史は古く日本書紀にまでさかのぼる。以来、京・なにわと瀬戸内海航路をつなぐ窓口として栄え、明治の開港にともない日本と世界をつなぐ窓口となった。
有史以来、神戸は様々な外国の文化が最初に訪れる場所の一つであり、その舶来文化を受け入れ発展させることで、日本の他の地には見られないユニークな街を築いてきた。
船長として60年間神戸港とともに生き、毎夜港について語るバーのマスター。キリスト教徒ながら毎日のように神社に参拝するドイツ人。震災にもくじけずジャズを歌い続ける76才の女性シンガー。外国人船員が行き来した戦後の闇市から出発し、今もアンダーグラウンドな雰囲気を残す高架下商店街。華僑が日本人とともに作り上げてきた中華街。
外国と日本の文化が混ざり合い、長い時間をかけて熟成してできあがった「神戸」。ここで暮らす人々の今を見つめる。
Read More皇居界隈(かいわい)
皇居。東京のど真ん中、日本のど真ん中。誰もが知っているのに、誰もがよく知らない場所。皇居のお濠に沿ってぐるりと歩いてみよう。大人の足なら2時間ほどでまわれてしまう。だがそこでは、江戸時代から現代までの400年の時間の流れに出会うことが出来る。
江戸城の記憶をとどめる風景、日本の近代を象徴する名建築群、明治から続く御用達のお店、日本有数の広大な地下通路、皇居をめぐるのは4000人のランナーたち、高層ビル群の間には東京一のパワースポットもある。
今回は、当番組のナレーター伊東アナウンサーの皇居一周の旅を交えながら、歴史と、都市の暮らしと、意外に豊かな自然の表情をとらえる。激動の歴史をくぐり抜け、今また未来に向けてその姿を変えていこうとする、皇居界隈の物語。
Read More名古屋めし
関東でもなく、関西でもない、独自の食文化が育まれてきた名古屋。味噌カツ、味噌煮込みうどん、きしめん、ひつまぶし、モーニング等々...。百花繚乱、どこかB級テイスト漂うその豊かなメニューは、いつしか「名古屋めし」と総称されるようになっている。「名古屋めし」には、「味が濃い」、「量が多い」を初めとした様々な特徴があるが、その底流にあるのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の所謂「三英傑」を生んだこの土地の風土である。米作りに向かない土地で大豆作りが奨励され、大豆100%の豆味噌が造り続けられ、人びとに浸透していったのだ。また、尾張徳川家が、庶民の間にも茶の湯を広めたことから、様々な和菓子が生まれ、今の小豆好き、喫茶店文化につながったとされる。番組では、バラエティに富む名古屋めしのルーツや魅力を紹介しながら、名古屋めしをこよなく愛する人たちに迫っていく。
●名古屋めしの基本は味噌味
三度食べるとクセになる。ふるさとの味、どて、みそカツに群がる人々。
●受け継がれる伝統の味
昔ながらのやり方で「豆味噌」を造り続けるみそ蔵の五代目。
●モーニングに見るもてなしの心
ちょっとしたお得を求めるだけでなく、実は第二のわが家。
●「ハレの日」にはひつまぶし
茶碗4杯分!人生の節目に食べる特別な味。
●麺王国の攻防
人気の味噌煮込みうどんに対し、劣勢のきしめん。麺王国をより盛り上げるために
小麦の品種改良まで。
●貧乏侍が生んだ名古屋コーチン
尾張人のこだわりが生んだ最高級の鶏。名古屋コーチンの誕生秘話。
Read More富良野 夏
北海道・富良野。夏を迎えた観光地は眩いばかりの輝きを見せる。爽やかな風が吹き抜けるラベンダーの丘、絵画のように美しい田園風景、豊かな自然が残る森。癒しを求める都会の人々にとっての憧れの大地だ。
実は、富良野は昭和50年頃まで、ほとんど無名の農村地帯だった。最初の入植は明治30年代と遅く、歴史の浅い北海道の中でもさらに若い。「北海道の中心」に位置するため開拓者が容易に到達できなかった上に、土壌も農地に適さなかったためだ。
依って立つ伝統や歴史がないゆえに、人々は自分たちのアイデンティティが何なのかを問い続け、独自の文化を築きあげてきた。貧しい土壌ゆえに栽培が始まったラベンダー、毎年夏に開かれる富良野独特のユニークな「へそ祭り」、ドラマ「北の国から」を共に作り上げた地元の人々。……バカバカしいことを真剣にやるのが、富良野人。新しく生まれた文化が人を呼び込み、また新しいものが作られる、富良野の世界を描く。
<オムニバス項目(抜粋)>
●ラベンダー 火山のやせ地に育まれた、富良野の象徴
●野菜の王国 北国特有の土壌と闘ってきた開拓民の歴史
●「北の国から」 富良野の人々の暮らしと情熱が生んだ名作ドラマ
●東大演習林 今も富良野市最大の地主、「東大」との意外な関わり
●へそ祭り 「北海道の中心」をテーマに作られた奇妙な夏祭り
Read More東京の夏
1300万人が暮らす大都市、東京。江戸時代から残る風情ある営みや、激動の昭和を歩んできた人々の思い、そして平成の夢。人の数だけ積み重ねられた、夏の記憶があります。
子供のひと夏の思い出のため、縁日や祭りを盛り上げる露店商。都立の谷中霊園では、先祖供養の大切さを見つめて来た、茶屋のお婆さん。江戸の頃から続く弔いの盆踊りを守り続ける、佃島の人々。
変化の激しい東京だからこそ、つないできた記憶を次の世代へ受け渡そうという、強い願いがありました。下町の片隅に、汚れてしまった海に、ビルの灯りが煌々と照らす夜空に、込められる人々の思い。東京・夏の記憶を巡る物語です。
<オムニバス項目(抜粋)>
●夏祭の裏方さん・・・祭や縁日でお馴染みの露店商。ハレの日を楽しむ人々のため、汗をかく日々。
●都会の海の記憶・・・海水浴場がなくなった東京湾。かつての海の復活をかけて取り組む人の思い。
●ちいさな花火大会・・・手持ち花火ができる場が少ない東京で、記憶に残る花火を演出する若者が。
●墓地の茶屋・・・明治に開かれた谷中霊園。代々続く茶屋の女主人と、先祖供養の大切さを見つめる。
●佃島の念仏踊り・・・江戸時代から続く由緒ある盆踊り。歌い手と踊り手が一体となる、盆の弔いの時。
Read More新大久保
多文化多国籍の町・新大久保。韓国、インド、ネパールなど各国の店舗がひしめき合うこの町には、多種多様な言語が飛び交い、異国情緒あふれるディープな雰囲気が漂っている。一歩足を踏み入れれば、アジアの片隅から中東の路地裏へと、あたかも外国に迷いこんだような気分にさせられる。
もともと新大久保には、江戸幕府の警備にあたる鉄砲組百人隊が配備されていた。百人隊は各地方から招集された武士によって構成されていたため、すでにこの頃から、ここが外から移り住んでくる移民の町であったと言える。
その後、文人たちに好まれた高級住宅街から、歓楽街で働く外国人のベッドタウン、そして韓流ブームに湧く日本最大のコリアンタウンまで、時代とともに異なる表情を見せてきた。
この町で暮らす1万人以上の外国人と、伝統を守ってきた日本人たち。独特なバランスで織りなされてきた、彼らの「共生」の物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●広場とキムチ 「うまっ!」差別を友情に変えたキムチ料理
●国際横町の住人たち “日本人より日本人らしい”イスラム教徒のリーダー
●ツツジと火縄銃 武士が育てた大久保の象徴 ツツジ
●生マッコリの人 炭酸が効いた本場の生マッコリを、日本で
●管楽器修理のマイスター 親子三代、路地の奥の管楽器修理店
●天使と映画祭 “天使のすむ町”、多国籍映画祭のひと夏
●ツツジの里帰り 小学生が一致団結、つかんだ奇跡とは
Read More讃岐
日本一狭い県土に1万4千あまりの“ため池”。その密度で香川県は日本一を誇っている。
大きな川もない地形に、日照時間が長く、雨の少ない気候。古来より、たびたび渇水に見舞われてきた讃岐の地には、今も水を大切にしようとする人々の暮らしや文化が息づいている。
ため池の水門=ゆるを外し、田植えに必要な水を周囲の田んぼへと送るという、讃岐の初夏の風物詩“ゆる抜き”。その時、水の争いが起こらないよう、田んぼに公平に水を送ることを監視する「番水」というしきたりが今も受け継がれ、地域の人たちによって行われている。
また、厳しい渇水に見舞われた時でも決して枯れなかった“わき水”を地域の宝として大切に守っていこうとする人々の姿。そして、県内一の呼び声の高い讃岐うどんの名店で今も使われる“水”の秘密。さらに、波のないため池の利点を生かし、将来のオリンピック選手が生まれようとしている高校のボート部など・・・貴重な水を「配り」「尊び」「使う」さまざな文化を生み、はぐくんできた、香川の人たちの“水”の物語を伝える。
<オムニバス項目(抜粋)>
●「配る」・・・香川の“ゆる抜き” 水を公平に配るための仕事請負人
●「尊ぶ」・・・平成の名水に選ばれた“小さな泉” 守り続ける集落のものがたり
●「育てる」・・・関東の釣り堀のフナ 実は香川の“ため池”育ち
●「味わう」・・・行列のうどん店 味の決め手は 沸き続ける“井戸水”
●「夢見る」・・・ため池から世界へ カヌーのオリンピアンが生まれる!?
●「敬う」・・・ ため池を作ってくれた先人に感謝を込めて・・・「ふざける」祭り
Read More首都高
今から50年あまり前、東京オリンピックを控えた昭和37年に開通し、現在、首都圏を総延長300km以上の路線でつなぐ首都高速道路。日本の高度経済成長の象徴とも言える首都高は、東京に暮らす人々の営みを大きく変えた。下町を近未来的な景観に変えた立体交錯の曲線美。首都高を通じて日本中の“旬の魚”が集まるようになった築地市場の変貌。昭和50年代には、全国のデコトラ(装飾トラック)の憧れとなり、トラックドライバーたちが一斉に首都高を目指した時代もあった。そして首都高建設の補償金と引き換えに、海苔の養殖の伝統を手放した大森の町の運命。首都高は、東京をどのように変え、どんな新しい風土を生み出したのか?私たちが“夢見たもの”と“手に入れたもの”…そして“失ったもの”―――。首都高を通じて、大都会・東京の変容を描く。
〈オムニバス項目(抜粋)〉
●東京の変貌
〜首都高の姿に魅せられ、写真を撮り続けるカメラマンの物語
●I ♥ 首都高
〜首都高の特殊な造形に魅せられた若者たちが2階建てバスで首都高を巡る
●流れを止めるな!
〜東京の大動脈である首都高の流れを365日、24時間態勢で守るパトロール隊に
密着
●川の面影
〜江戸の水路とぴったり重なる首都高のルート。
川の面影が残る高架下で生まれる人々の物語
●トラック野郎の憧れ
~地方のデコトラドライバーたちにとって憧れの舞台だった首都高。
義理と人情に生きるデコトラ界のカリスマの物語。
●人間交差点
〜誰もが通りすぎていくだけの首都高で生まれる一瞬の出会いを見届ける。
Read More四天王寺
今からおよそ1400年前、聖徳太子によって創建された日本最古の官寺、四天王寺。
大阪の中心部に位置し、「大阪の仏壇」として人々に親しまれてきた。境内は24時間いつでも開かれ、誰もが思い思いの時間に、思い思いの場所で祈りをささげている。朝の体操や通勤通学などにも境内は利用され、地元の人たちの暮らしと溶け込む姿は、まさに庶民の寺。さらに、1400年ものあいだ寺の建築や修復を担ってきた宮大工集団、平安時代以前から続く古典芸能・舞楽を支える人々など、1400年続く祈りの場を、今も支える大阪の人々。さまざまな祈りの姿と、1400年の歴史を支える人々が織りなす、四天王寺とその界隈の物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●大阪の仏壇…
いつもの時間、いつもの場所で。大阪庶民それぞれの祈りの姿。
●1400年を支える宮大工…
創建以来、四天王寺とともに歩む宮大工集団の今。
●おかげさまのお好み焼き…
四天王寺を愛してやまない大阪のおばちゃん。今日はお寺に感謝のお好み焼き。
●再会の場所…
亡き妻が眠る四天王寺に思いをはせて。寺がつなぐ家族の縁。
●伝統の舞楽…
平安時代以前から続く舞楽。大阪庶民が支える伝統のリレー。
ほか
Read More船橋
東京湾の最奥、千葉県船橋市。人口62万人が暮らし、今も移住者が絶えない町だ。その繁栄の陰には、いつも東京が。朝夕、人の流れの絶えない駅前の繁華街。せわしなく行き交う人々の多くは東京へと通う「千葉都民」だ。町の郊外には、彼らが住む巨大団地やマンションが建ち並ぶ。湾岸の埋め立て地は、巨大ショッピングモールやオートレースなどの公営競技が置かれた歓楽地。毎週末、都心から多くの客が訪れる。更に古くは江戸時代、小さな漁師町だった船橋。そこに訪れた徳川家康により、江戸城へ魚を献上する栄誉が与えられ、町は大いに繁栄した。今も船橋の漁師の間には江戸前の漁を支えるプライドが息づいている。都会で、港町で、ベッドタウンと様々な顔を持つ船橋。人々の暮らしを訪ね、多様な魅力を描き出す。
<オムニバス項目(予定)>
●船橋へようこそ!…
船橋で暮らす魅力とは?まずは1日、町を行き交う人々を追う。
●江戸前の魂…
水揚げ日本一を誇るスズキ漁、その漁師に宿る心意気
●ミスター船橋…
公営競技の町、船橋の名物“予想屋さん”
●“都疎浜”と呼ばれて…
船橋湾岸の住宅街。そこは東京から疎開した人々が築いた町。
●その名はホンビノス…
巨大干潟“三番瀬”で獲れる貝が船橋の新名物に!?
●巨大団地がふるさと…
かつて誰もが憧れた団地。その変遷を追う写真家と住民との交流。
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