シーズン2011 (2011)
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Episodes 30
城 十二天守への旅(日本の城シリーズ PartI)
戦乱の世を生き抜いた城。そびえたつ天守。建てられた当時の姿を留める城の数は、全国で12に過ぎない。その城は、なぜ建ち続けてきたのか。
冬から春へ。北から南へ。現存する12天守をめぐる旅。それは、城がいかにして今日まで建ち続けてきたかを知る旅となる。
長野県・松本城は、城を守り続ける神様と、その神様を守り続けた藩士の末裔を紹介。
愛知県・犬山城は、歴代藩主を務めた成瀬家の、最後の城主の長女・淳子さんを紹介。
滋賀県・彦根城は、堀をめぐる屋形船を運営する地元の若い経営者達を紹介。
兵庫県・姫路城は、50年前の「昭和の大修理」の際、腐ってしまった城の心柱を新しくするため、地元の神社のご神木が寄進されたことを紹介。
国宝の城をはじめとする日本各地の現存12天守の美しい城の姿と、人と城の様々なエピソードを描いていく。
Read More城 十二天守への旅(日本の城シリーズ PartI)
戦乱の世を生き抜いた城。そびえたつ天守。建てられた当時の姿を留める城の数は、全国で12に過ぎない。その城は、なぜ建ち続けてきたのか。
冬から春へ。北から南へ。現存する12天守をめぐる旅。それは、城がいかにして今日まで建ち続けてきたかを知る旅となる。
長野県・松本城は、城を守り続ける神様と、その神様を守り続けた藩士の末裔を紹介。
愛知県・犬山城は、歴代藩主を務めた成瀬家の、最後の城主の長女・淳子さんを紹介。
滋賀県・彦根城は、堀をめぐる屋形船を運営する地元の若い経営者達を紹介。
兵庫県・姫路城は、50年前の「昭和の大修理」の際、腐ってしまった城の心柱を新しくするため、地元の神社のご神木が寄進されたことを紹介。
国宝の城をはじめとする日本各地の現存12天守の美しい城の姿と、人と城の様々なエピソードを描いていく。
Read More京都 色いろ
「刈安(かりやす)」「梔子(くちなし)」「萌葱(もえぎ)」。すべて色の名前である。日本人には、わずかな色の違いを巧みに表現する色彩感覚があるという。その多くは、古都・京都で生まれ今も息づいている。かつての日本は色の峻別が少なかったといわれるが、大陸から様々な文物が流入してから、日本人の色彩感覚は急速に目覚め、新たな色を生み出してきた。絶え間なく「色彩の革新」に挑戦し続けてきた京都人の姿を描き、日本人の美意識を浮き彫りにする。
<オムニバス項目(抜粋)>
●京都が生み出した襲(かさね)の文化
平安貴族の教養は「色で季節を愛でる」こと。その代表とも言えるのが、十二単(五枚襲)。季節ごとに色の組み合わせを変えた当時の貴族のたしなみを絵巻や再現された着物で表現。
●祈りの色
京都で目をひく寺社仏閣の朱色。この朱色を広めたのが伏見稲荷大社だ。古来より魔除けの意味を持っていた「朱色」を建物から鳥居まで使い「神社=朱色」のイメージができた。
●無色の美
鎌倉時代に禅宗の影響からモノトーンが流行した。「無色=無欲」として”水墨画”と”枯山水”がもてはやされた。「貧困に堪える事を美徳とした武家精神」と色の関係を見る。
Read More知床
世界自然遺産に登録された「知床半島」。太古の昔から、故郷を離れ新天地に活路を見出す者たちや、この土地の豊かな恩恵に預かろうとする者たちへ、北の土地は厳しい試練を与えてきた。自然を克服しようとする戦い、自然と折り合う知恵。暮らしの中には、今もその歴史の跡を見ることができる。美しさを極める極寒の四季の移り変わりの中に、自然と向き合う日本人の暮らしの一端を見る。
<オムニバス項目(抜粋)>
●極寒の自然
春、流氷が溶けて流れ出す栄養でオキアミが大発生。200種の魚、鯨、ミズナギドリが集まりシャチも姿を現す。エゾシカの住む森ではヒグマが目を覚ます。
●番屋の暮らし
流氷が消えると漁師たちは漁業小屋に移り住む。沖合は鮭の屈指の漁場。すぐ側ではヒグマも鮭を捕る。人と熊は「互いの距離」をわきまえ、共存する。
●移住者の農地
元々は密林、極寒、強風の「農業不適地」。明治以来「開拓すれば農地が持てる」と信じて移り住んだ人々が切り開いた。
Read More琵琶湖
日本最大の湖、琵琶湖。近江の人々の暮らしを守ってきた命の水。「この世の美のすべてがある」と讃えられてきたその湖畔には、水と日本人の懐かしい風景が今も守られている。
昔から多くの文人墨客が訪れ、その美しさを称えてきた。石山寺から眺める名月に源氏物語「須磨」の着想を得たという紫式部。晩年をこの地で暮らし、多くの句を詠んだ松尾芭蕉。「行く春を近江の人と惜しみける」。湖畔の美しい情景を浮世絵「近江八景」として繰り返し描いた歌川広重。そこに描き出された野山の自然、暮らし、光と影の移ろいには、水辺に生きる人々への温かい眼差しが感じられる。
今も比良山系の伏流水を暮らしに使う集落では、琵琶湖に注ぐ水を汚さない慎ましい暮らしを保っている。琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)は神の領域とされ、神主や僧侶も巡礼者たちも戒めを守る。そして珍しい伝統漁法を守り、店も車もない湖の島に暮らす漁師たち。
人と自然の織りなす美しい琵琶湖の景観、俳句、浮世絵を織り交ぜて描く映像詩。
Read More花園
全国各地の様々な「花園」。
季節が巡るごと、刹那の美しさに多くの日本人が、心を和まされ、癒され、時には励まされてきた。
広大な荒れ野をたった一人で50年間かけて花園に仕上げた人、失った戦友を想い荒れ果てた河川敷を彼岸花いっぱいに蘇らせた人、コンクリートジャングルのわずかなスペースに花を植え、都会に花のオアシスを生んだ人。日本各地の花園をみていくと、かけがえのない人生の瞬間や家族の思い出が原風景となり、一輪一輪の花に託されていることに改めて気づかされる。
番組ではそうした人々の心の奥底に宿る花への思いを通して、日本人の心情や美意識を美しい映像と共にひもといていく。
<オムニバス項目(抜粋)>
●北海道・大雪山
天空の花園。南北63キロからなる広大な大地は厚い雪に覆われているが、夏になると日本最大の花畑が現れ、奇跡のような風景が見られる。
●愛知県知多半島・矢勝川
川岸は秋になると真紅の彼岸花で埋め尽くされる。21年前、地元の小栗大造さんが戦友への鎮魂の思いを込めて荒れた堤防に一本一本植えはじめた。
その思いは周りの人たちに伝わり今では200万本に。
●福島市・花見山公園
桃源郷と呼ばれるこの小さな山は年間25万人が訪れる。山の持ち主・阿部一郎さんは入園料も取らず採算の合わない花園作りを一人半世紀にわたって続けてきた。
そして、震災に見舞われた今年の春の花園で、阿部さんの胸に去来するものは?
Read More出雲
神々のふるさとと呼ばれる「出雲」。古事記や日本書記は、神話と歴史を織り交ぜながら、ここが日本誕生の地であると記している。出雲に伝わる神事、史跡、風習には古代の国家と有力者たちの謎に迫る手がかりが秘められている。3年前に始まった、出雲大社の60年に1度の本殿大修繕を機会に、普段は許されない様々な撮影が許された。神話の世界と符合する本殿内部。天照の弟の子孫と伝わる宮司の家の秘密の神事などの貴重な映像を中心にして、ヤマタノオロチの骨と伝わる不思議な物体、恋の成就を占う池など、この土地に残された様々な不思議を紹介し、神話と古代史の謎に迫る。「縁結びの聖地」としても有名な出雲の様々な「パワースポット」もたくさん登場。他にも古代の技術を伝える「たたら製鉄」、出雲風土記にも記された特産の「十六島のり」、神々が出雲に集結するという旧暦十月と「ぜんざい」の特別な関係など、出雲の魅力をまとめてお伝えする。
(昨年放送した90分パイロット版の中から、好評だった番組を再構成。)
Read Moreこんぴらさん
“こんぴらさん”と親しまれる金刀比羅宮。身分や職業を問わず「何でも願いを叶えてくれる」と年間300万人が訪れる庶民の神様だ。起源は中世に山伏が建てた寺とされる。戦国時代、霊験あらたかと大名や公家の信仰を集めて有名になった。江戸時代には漁師や船乗りから“海の神”として崇められ、北前船の航路にそって日本中に広がる。社の数は800を超え、移民と共にハワイやブラジルにも建立された。それぞれの時代の人々の祈りに応え、広がったこんぴら信仰。現代も、神職がそれぞれの願いに応じた独自の祝詞を創作するなど、人々の期待に応えている。
こんぴら詣では、江戸の頃から庶民の娯楽にもなった。こんぴらさんはその期待にもこたえ、こんぴら歌舞伎や、多様な楽しみを供する門前町を発展させ、今もその伝統は続いている。
時代と共に変遷し、信仰も欲望も受け入れて人々の期待に応え続けた金刀比羅宮の歴史を、様々な神事や風習を通じて描く。
Read More近代建築 夢のかたち
近代国家の建設にまい進した明治以後の日本。その意気込みを形にしたのが建築だった。
西洋に倣った役所や学校、住まい。一つ一つに、作り手である建築家や住む人たちの夢や理想が託され、やがて日本独自のスタイルを持った名建築が生み出される。明治から昭和にかけて各地に建てられた名建築と、人々が織りなす物語から、「日本人の夢の軌跡」を浮き彫りにする。
<オムニバス項目(抜粋)>
●「文明開化を象徴する小学校」:長野県松本に建設された「旧開智学校」は、和洋ともつかぬ摩訶不思議なデザインで、松本城に次ぐ高さを誇った。明治の熱気と志にせまる。
●「ロマンスを秘める邸宅」:女優・川上貞奴が引退後に名古屋に建てた「二葉御殿」。ここで貞奴は、妻子ある恋人と生活を共にする。自由な生き方を追い求めた大正時代の精神を形にした建築の魅力に迫る。
●その他、「理想郷への夢を託した鉱山町の芝居小屋」「郷愁あふれる昭和レトロの家」「東京の顔を設計した男」など
Read Moreあの街この街 路面電車
道路上に引かれた線路の上を、鉄道の車両よりも小さな電車がコトコト走る、路面電車。その歴史は古く、100年以上も前の明治28年に、京都電気鉄道といった名で京都に登場したのが始まりだ。以降、庶民の足として、日本各都市で普及し、活躍をしてきた。
最盛期には67都市で運行されていたが、1970年代頃から、人々はより便利なバスや車に流れ、各都市から次々と姿を消していった。現在では、わずか18都市でのみ走ることとなった路面電車だが、それでも生き残った路面電車は、各地で毎日人々を乗せて走っている。
北海道の函館では、総合学習で市電について学んだ子供たちが「市電に乗る人が少ない」ことに驚き、市電の応援歌を作った。また、毎日のように線路脇に立ち、路面電車の写真を撮り続ける96歳の男性は、東京の路面電車の変遷を見続けてきた。そして広島では、1945年8月6日の原爆投下から、わずか3日後に復旧し、人々を勇気付けた被爆電車が今も街を走り続けている。
どんな時も、人々に寄り添いながら走り続けてきた路面電車。今再び、次世代の乗り物としても注目を集めている。街や暮らしと共に変遷し、100年以上経った今も、人々の生活と深く密着している路面電車を、全国18都市で取材し、その歴史と今、そして路面電車と深く関わる人々の物語を紹介していく。
Read More諏訪
巨木とともに男たちが命がけで崖を転がり落ちてゆく御柱祭。信州・諏訪で、千年を超えて受け継がれてきた。6年に一度の祭の年、諏訪では、各地の神社や道端の小さな祠など、神さまのそばに数万本ともいわれる御柱を建てて祝い、春から秋にかけて祭り一色に染まる。
周囲を山に囲まれた諏訪の大地。不思議な風習や神事が守り伝えられてきた。厳冬の諏訪湖を覆った氷がせり上がる御神渡りの姿から、その年の吉凶を占ってきた人々。御神渡りの神秘が聖なる地を生み、それが起源となったという諏訪大社。木や石に宿る土着の神に千年を超えて仕えてきた一族。蛙を生贄として捧げる狩猟の神の信仰・・・。
諏訪を心の故郷とした芸術家の岡本太郎は、御柱祭の群集に飛び込み、思わず声を上げた。「御柱祭は、縄文人が満ち満ちている!」 遥か昔、森と水に恵まれ、縄文の豊かな文化が花開いたという諏訪。縄文の人々は、巨木を大勢で引き、聖地に建てる御柱祭と同じような光景を繰り広げていたといわれる。
荒々しい自然のなか、生と死が紙一重だった縄文の魂が、今も息づいている諏訪。日本人の祈りの原点を守り抜く人々の物語を紹介してゆく。
Read More人形 愛し愛され
人(ひと)の形(かたち)と書いて「人形」(にんぎょう)
―土偶・ひな人形・操り人形、フィギアなど日本人は、はるか太古の昔から暮らしの中で人形と独特の関係を築いてきた。無病息災や五穀豊穣への願い、死者の鎮魂や神への畏敬の念、そして娯楽や憧れ…人形には地域に伝わる風習や信仰が奥深く潜んでいる。
「ひな祭り」は、もともと京の貴族たちの結婚式を表し、その後、子どもの幸せを託す行事として全国に広まっていく。
江戸時代、大阪で花開いた「人形浄瑠璃・文楽」は、微妙な心の動きや繊細な仕草を映す。そこには、長年研鑽を重ねてきた人形を操る人形師ならではの技があった。
人間国宝の人形師は「物言わぬ人形に物を言わしめたい」とまで語る。
なぜ此処まで人形は私たち日本人の心を捉えるか。
なつかしく、美しく、そして妖しい、人形と人との物語。
<オムニバス項目(抜粋)>
●ふるさとのひな人形
江戸時代に九州・筑後川流域に広まっていった手作りのひな人形「おきあげびな」。
段飾りとはひと味違う素朴な人形に託した思い出とはー
●若者をとらえるオーダーメイド人形
若い世代を中心に目、口、髪の毛の色、姿・形などを思いのまま選び<自分だけの人形>を作れる場所が京都にある。こうした人形になぜ心惹きつけられるのか。
●カーネルの呪い?
ファストフード店先に置かれる人形を巡ってある時、事件がぼっ発した。
事件の経緯を探っていくと「意外な」日本文化との接点が浮かんでくる。
ほか
Read More富士山
日本一の山、富士山。なぜ、私たちは、これほど富士山に心ひかれるのか。その謎を解き明かす、富士山の決定版映像大全集である。
富士山は、四季折々、変幻自在に妖艶な姿を見せる。紅富士やパール富士に雲海富士…。太陽や月に照らされ、風と雲が生み出す一瞬の表情をカメラが記録。“千円札の富士”をはじめ、生涯で38万点もの富士写真を遺した男の執念の物語。江戸時代、爆発的なブームとなった庶民の信仰・富士講の謎。葛飾北斎や歌川広重が競い合い、描き出した富士の真髄。全国に作られたミニチュア版富士山“富士塚”がつなぐ、故郷の絆。
その昔から富士を愛してきた日本人を、美しい映像と共にたどる旅。富士山の山開き当日に、お届けする。
Read More宮島
日本三景、安芸の宮島。平清盛や豊臣秀吉ら、時の権力者たちの信仰を集めたこの島には、貴重な文化・芸術、宝物が集められてきた。海に浮かぶ朱塗りの巨大な寝殿作り、世界遺産・嚴島神社。平清盛が奉納した金銀水晶が散りばめられた国宝・平家納経。平安絵巻を今に再現する祭りの数々。
しかし島の魅力はそれだけではない。ここは太古の昔から神の島として崇められてきた特別な場所であった。中世まで人が住むことが許されず、今も島に暮らす人たちは、幾つものしきたりを守って暮らしている。正月でもないのにしめ縄を飾る風習、死者の埋葬を忌みとし、亡くなった人は島外に葬ること。神の使い・鹿を傷つけないこと。さらに木を切ることや耕すことも禁忌とされてきたため島の大半に手つかずの自然が残る。弥山原始林は嚴島神社と同様、世界遺産に登録され、700種類以上の植物が密集する生き物たちの楽園となっている。
この他にも紹介されることの少ないポイントはいくつもある。島の最高峰・弥山(みせん)の山頂は、巨石が積み重なる修験道の聖地となっている。ここには空海が灯したという伝説の「消えずの火」があり、修行僧が交代で守っている。また戦後の食糧難の時代、禁忌の島の例外として国が募集した、島の裏側の開拓農家たち。岩だらけの土地で今も耕作を続けている。暮らしの中に神が溶け込む島、宮島。その魅力をたどる物語。
Read Moreいつもそこに、塔
天に向かってそびえたつ「塔」。
観光スポットとして全国各地に点在するこの建造物は、もともと仏教の卒塔婆がルーツとなっている。明治以降"TOWER"という訳語に当てられ、以後、時代、時代でその性質や役割を変えていった。航海の安全を祈願するものとして、新しい時代を切り開く社会の窓として、そしてふるさとの誇りとして、「塔」は天高く築かれた。
日本人は、「塔」にどんな思いを寄せてきたのかー。
日本各地の塔を通して、日本人の信仰心、郷土愛、技術力などを探っていく。
<オムニバス項目(抜粋)>
・東京スカイツリー
完成に向け日々工事が進む東京の新しいシンボル「スカイツリー」、この新しい美しいモニュメントに憧れ、見守り続ける人々の胸の中に去来するものは…。
・通天閣
大阪の人たちの誇り「通天閣」、実は戦中に失ったものが戦後に再建されたものである。「二代目・通天閣」再建に奔走した地元商店街の人々の物語。
・室生寺
奈良・室生寺の国宝の五重塔。天災に見舞われ、倒壊した塔を復元した宮大工の戸惑い、そして未来に託したメッセージ。
他、太陽の塔(大阪) さざえ堂(福島) 犬吠埼灯台(千葉) など
Read More阿波おどり
毎年八月、お盆の四日間に行われる徳島の阿波おどり。踊り手10万人 観客135万人。
日本で最も多くの人を集める盆踊りである。
メインステージの演舞場では「連」と呼ばれるグループごとに踊りを披露する。100人を超える集団が、一糸乱れず踊る光景は圧倒的な迫力だ。
踊りの舞台はそれだけではない。交通規制された街中から小さな路地まで、至る所で人々が踊り出す。阿波おどりのリズム「ぞめき」には人を踊り出させる魔力がある。
阿波踊りの起源は、死者の魂を慰めるための踊りだった。大正時代、人々が踊りを通じて死者と交流していると感じたポルトガル人はその光景を書物にして世界中に紹介した。
それは同時に、庶民が生きる喜びを確かめる踊りでもあった。空襲で焼け野原となった直後も、人々は焼け残った浴衣を着て踊り出した。その輪の中から、幾人もの踊りの名手が生まれ、阿波踊りは歓喜の祭りへと発展した。
昭和の初期、全国に阿波おどりを広めた伝説の歌い手。踊りを芸術の域に高めた女踊りの名手。新しい町に阿波踊りを根付かせた徳島出身の実業家。熱狂の踊りに魅せられた人々の、心に響くドラマの数々を迫力の映像で描く。
Read More妖怪〜日本の闇の物語〜
日本の各地には今もなお不思議な妖怪の物語が言い伝えられ、目撃者さえいる。幼いころ河童と遊んだという岩手の女性。妖怪の言い伝えを村中に残す徳島の「妖怪村」。かわうそに化かされたことを懐かしむ小豆島の人々。終戦を予言したという牛の妖怪の記録。日本人は妖怪の住む世界の中に生きてきた。妖怪はその土地の人々が歴史の中で築き上げた自然観、死生観、世界観の現れとされる。近代化、合理化の中、暮らしは変わりつつあるが、「ふるさと」の姿は妖怪の物語として生き続けている。また数々の絵巻物などに記された妖怪にも日本独自の美の世界がある。全国各地に残された妖怪の住まう「闇」を訪ねる旅。今回は東京下町の子供たちも身近な妖怪探しに参加する。残された最後の記憶が失われ、風習に込められた真意が失われる前に、ふるさとの姿を妖怪の物語として映像に残す。
Read More遠野
百年前、柳田国男の「遠野物語」は、妖怪や山の神を信じて暮らす人々がいることを世に知らしめ衝撃を与えた。明治の人々を驚かせた暮らしと信仰は、実は今も失われてはいない。ここには廃校になった学校から、座敷わらしを家に連れ帰ったと言う女性がいる。家の守り神「オシラサマ」が田植えを手伝ってくれたと語り伝えるお年寄りもいる。沢でカッパを見たという人もいる。お盆になると、山から下りてくる亡くなった人々を迎える「トオロギ」を高く上げ、しし踊りで丁重にもてなす。死者はいつまでも故郷を離れることができないと柳田が記した生活は、遠い昔、蝦夷と呼ばれた文化の痕跡を今に伝えるものでもある。さらにこの土地では、山から切り出した木を運ぶのに今も馬を使い、馬と人とが顔を合わせて暮らす「曲がり屋」と言う家も残されている。
観光に訪れるだけでは触れることの難しい、素朴な信仰に抱かれた暮らし。そこから生まれた世界観、いわば日本人にとっての原風景を映像で伝える。
Read More桜島
鹿児島のシンボル、桜島。年に数百回の爆発をくり返す活火山。日々、煙を上げるその姿は、鹿児島で暮らす50万の人々の心の風景となっている。早朝、鹿児島市内の温泉銭湯に集まる人々は、朝風呂につかりながら桜島をながめ一日を始める。島津氏が築いた仙厳園は桜島を借景とし雄大な眺めを生み出した。噴火の瞬間を撮影し、そこに桜島の「感情」を読み取ろうとする写真家。桜島のすぐ麓で、シラスの大地に適した巨大な桜島大根や桜島小みかんを作り続ける農家。厳しい訓練を重ね、桜島から鹿児島市へと遠泳で渡る小学生たち。人々は毎日のように灰を降らせるやっかいさ、恐ろしさも含めて、桜島を愛してきた。そして幕末から明治にかけて日本を動かした鹿児島の独自の気質を育んだ。
巨大カルデラが作った海・錦江湾の海底で育まれる珍しい生態系などの映像も交え、雄大な自然と、そこに抱かれた暮らしを描く。
Read More雲仙・島原
雲仙普賢岳の大火砕流による大惨事から20年。島原の人々は再びこの土地に根を下ろし新しい暮らしを始めている。他にはない恵みをもたらす故郷だからだ。噴出した土砂と岩石が作った扇状地は、水はけが良く、地下水が豊富だ。町中では湧き水を活かした共同洗い場があり、主婦が炊事や洗濯に利用し、地域の交流の場にもなっている。商店街には現代版“水奉行”なる役割を率先して務める男性がいて、商店主たちは水を公平に分担しながら清掃や商品の冷却に重宝している。丘陵地に作られた棚田や段々畑では、水はけのよい火山灰土を活かしてジャガイモなどの栽培が行われている。島原の乱以降に移住した人々が代々この土地を守り、故郷の歴史を刻んできた。
雲仙と共にある島原半島の風土と暮らしを、この土地で生き続けることを選んだ人々の姿とともに記録する。
Read More仁淀川
ガラスのように透き通った、日本一の水質を誇る清流が、高知県の中央を流れている"仁淀川"。
全長124km。西日本最高峰・石鎚の森に端を発し、小枝のような支流を悉く集め、末は黒潮の土佐湾に注ぐ。その雄大な流れは、豊かな動植物の生命を支え、独特の川文化を育み、人と川が響きあう風景を紡ぎながら流れる。
上流の川沿いにある保育園では、夏場、プールの代わりに子供達は皆、川で泳ぐ。どんな石が滑りやすいのか、どんな所の流れが強いか、子供達は身をもって学んでいく。中流に欠かせない風景といえば、沈下橋。これは、増水時、水面下に沈む事を想定した橋で、水の抵抗を軽減させるため、欄干がない。日本人が、自然にあらがうのではなく、自然のリズムの中で川と調和して生きていた時代を偲ばせる。下流では、かつて、世界で最も薄い和紙・典具帖紙で栄えた町がある。今は、祖父から技術を受けついだ、たった1人の若者が、仁淀川で生きる誇りを胸に和紙を漉き続けている。
かつては日本中どこでも見られたであろう清冽な川の流れ、そして水辺の情景。仁淀川が魅せる14篇の物語が、人と川の原風景を描き出す。
Read Moreヨコハマ伝説
1859年の開港以来、日本の玄関としての役割を担ってきた、港ヨコハマ。外国の息吹を間近に感じて生きた人々の物語は、この地で語り伝えられ、やがて伝説となった。数々の伝説の現在を、横浜の美しい風景の中、ドキュメントする。
新しいもの、いかしたものの先頭を走り続け、全国の若者の憧れとなったバイク乗り。その胸中に秘められた、巨大なアメリカへの複雑な思いを語る。どこからともなく現れ、やがて横浜では知らぬ者のない有名人となり、またどこかへと姿を消した「ハマのメリー」と呼ばれた女性。その生き様を知る人々の証言。開港と共に訪れ、横浜発展の一翼を担った華僑。自分たちの町、中華街を築きながら、祖国と日本の狭間で揺れ動いた一族の演じる中国獅子舞。横浜港を知り尽くす水先人。その資格を得るため、50代から猛勉強し、超難関の試験をクリアしたある男性が見せる技術。日本初のボクシングジムが生まれた土地で、戦前戦後の苦労を乗り越え、いつかは世界チャンピオンをと挑み続ける一族。開港直後、ヤスリ仕上げの西洋の家具の曲線を、カンナの技術で自分たちのものとした「横浜家具」の職人たち。昭和を代表する豪華客船として国際航路を担い、やがて戦争のため数奇な運命をたどった氷川丸。その船に憧れ続けたある画家。この町の音楽として歴史を刻んできたジャズの歴史と現在、などを紹介する。
Read Moreいざ鎌倉
海岸から山際に向けて走る一本の道。その奥に佇む社。谷が入り組む静寂で名もない路地を進むと、名刹・古刹が広がります。
奈良・京都と並ぶ三大古都のひとつ、「いざ鎌倉」は、もともと小さな漁村でしたが、源頼朝による日本で最初の本格的な武家政権が誕生して以来、その独特の地形を生かし、発展をしてきました。
鶴岡八幡宮、長谷の大仏、建長寺…日本人の礎となる精神風土や文化が花開いた町を、カメラは巡ります。耳を澄ませば、中世を生きた“もののふ(武士)”たちの息づかいが聴こえてきそうな町「鎌倉」。気風漂う神事や、四季の花々、国宝や重要文化財の数々、今も多くの人々の心を惹きつけて止まない古都の魅力を、美しい映像とともに綴っていきます。
Read More松島
あまりの美しさに、松尾芭蕉が句をしたためることが出来なかったという宮城県の松島。日本三景のひとつに数えられています。静かな海に260余りの島々が浮かぶ景観は、東日本大震災のあとも奇跡的に保たれました。遠い昔から人々を引きつけたのは、その美しさだけではありません。この世のものと思われない絶景は、古来、浄土へつながる霊場とされ、こう呼ばれてきました。「死後の迎えを待つ(まつ)島」。亡き人の往生を願う人々は、遺骨をわざわざ松島に運び埋葬したと言います。いくたびもの災害や飢饉を乗り越え、祈りの地に暮らしてきた人々。その歴史は縄文にまで遡ります。日本最大級の貝塚「里浜貝塚」にも縄文人の弔いの痕跡が残されています。中世以降、祈りは仏教と結びつきました。現世の栄華と死後の安寧をともに願った伊達政宗は、瑞巌寺を再建し、ここに桃山時代の美の極みを集めました。そして最近明らかになった松島誕生の秘密。13万年前の超巨大地震が、山を崩してこの美しい島々を作り上げたという研究が進められています。
今年は大震災を受けて、30年ぶりに盆行事が復活しました。海に響く瑞巌寺僧侶50人による読経、松島の海の恵みを歌う盆踊り。霊場・松島を美しい映像で綴ります。
Read More東京の夜
今回の新日本風土記は夜の東京の物語。
一日1500万人が行き来するといわれる街「東京」。
日が暮れて、夜になると東京はひときわ輝きを増す時間を迎えます。
文明開化以来、日本人は東京の夜を光で照らし、昼とは違う夜だけの空間で大切な時間を過ごしてきました。
男女の愛を優しく見守る老タクシードライバー、裸電球の灯りの下で育まれる酔客たちの絆、都市の躍動感を光で演出するライティングデザイナー、電飾の眩しさに情熱をたぎらせた集団就職の元少年、ひと夜の出来事をきっかけにメジャーデビューを目指して歌うK-popグループなど、人々の夢と希望・葛藤が交錯する大都会「東京」の昼間とは違った顔を訪ねます。
【主な取材地】
・新宿思い出横丁
・歌舞伎町
・表参道
・新大久保
・六本木ヒルズ
・東京タワー
ほか
Read More仏像の京都
京都には、いたるところに仏像がまつられている。国宝や重要文化財となっている歴史的な仏像から、街角のほこらにまつられた石の仏まで。万を超えると言われるその一体一体に、千年の都の祈りの歴史が刻まれている。15の物語で描く。
●花を売る白川女(しらかわめ)が大切にしてきた大柄な石の菩薩。信仰の歴史と女たちの物語。
●平等院鳳凰堂の国宝・阿弥陀如来坐像。平安貴族が施したある仕掛けが極楽浄土を現出する。52体の雲中供養菩薩像の楽しげな姿は浄土へと甘く導く。
●東寺に伝わる21体の仏像、立体曼荼羅。空海が平安の世に伝えようとした仏の宇宙を読み解く。
●平安から鎌倉時代にかけて盛んに作られ、今はほとんど残っていない六体一組の六観音。千本釈迦堂に残る一組からその時代の信仰を探る。
●平清盛が都の周囲に配置した6体の地蔵。平安末の世の乱れを抑えようとした祈り。
●京都のあちこちで掘り出される石の地蔵菩薩、そこに秘められた父母の思い。
●お地蔵さんに感謝する地蔵盆。西陣で20年ぶりに復活し、子どもたちをわかせた不思議な行事。
●大原の人々が山の庵から連れ出し、守り神として大切にお世話する秘仏。
ほか。
Read Moreコメの旅 イネの道
日本人にとって特別な食べ物「コメ」。数千年前に渡ってきて以来、日本人の社会を変え、国土を変え、信仰にも影響してきました。日本の各地には、その歴史の移り変わりを示す、遺跡や史跡、生活が残されています。コメとともに育まれた、日本人の心の原風景を訪ねる旅。コメに愛情を努力を注ぎ続ける人と出会う旅です。
●“神の田” 伊勢神宮で神へ捧げられるお米は「神宮神田」という特別な田んぼで作られます。その責任者・山口剛さんの米作りを春から秋まで追いました。
●“コメがクニを作った” およそ2500年前の水田が復元された佐賀県の「菜畑遺跡」。日本最古の稲作がどのようなものだったのか。弥生時代の「吉野ヶ里遺跡」でどう変わったのか。「クニ」の始まりの物語。
●“海から来た赤米(アカゴメ)の神” コメの伝来経路のひとつといわれる長崎・対馬の漁師には、赤米を神としてまつる不思議な神事が伝えられます。
●“130年の大工事”福岡・筑後川流域を稲作地帯へと変えた江戸時代の堀川用水。取水口の山田堰は、現在の技術者が見ても驚く高度な技術が使われています。水門を代々守る番人の姿とともに描きます。
●“北海道稲作の父”いまや数々のブランド米を生み出す北海道。かつては不可能とされていた稲作に挑戦したのが明治の開拓者、中山久蔵。その人生をかけた品種「赤毛」の物語。
●“神に捧げるコメ”今年の新嘗祭にコメを献上することになった、富士のふもとの農家の1年。
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