エピソード 48

1

第1部 第 1回 薩摩藩お家騒動

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1990年01月07日1h 23m

弘化3年(1846)イギリス艦船が薩摩に来航しますが、薩摩藩主の嫡男・島津斉彬はペリー来航より7年前に海外に眼を向けていました。彼は同志の老中・阿部正弘から異国船対策を任され国に帰ります。当時、島津家では跡目を巡って、斉彬派と弟の久光派の対立が続いていました。藩士である西郷吉之助(後の隆盛)、大久保正助(後の一蔵、利通)などは斉彬派でした。国もとの不穏な動きを知り、斉彬は賭けに出ます。

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2

嘉永4年(1851)春、島津斉彬が薩摩藩第28代藩主としてお国入りしました。斉彬は家臣から広く意見を求め、人づくり国づくりを積極的に推し進めます。そのころ西郷吉之助の縁談が持ち上がりますが、まとまりません。大久保正助が一計を案じ、吉之助は身を固めます。斉彬は志ある若者を江戸に留学させるなど、薩摩の若者に希望と活力を与えました。吉之助と正助も名君に尽くすことを誓い合い、江戸行きの夢を語り合います。

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3

第1部 第 3回 運命の女たち

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1990年01月21日44m

吉之助の結婚で明るい年を迎えた西郷家ですが、新妻・俊は家になじめず、吉之助は江戸行きの思いを言い出せません。斉彬は異国船対策を決めかねる幕府内の現状を憂い、幕政工作のため島津一門の姫君・敬子(すみこ・後の篤姫)を養女にしました。そんな折、西郷家では祖父、父、母が相次いで亡くなります。斉彬の江戸出府に同道することになる留学生の出発を見送った吉之助は、胸にぽっかりと穴が空いたようでした。

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4

第1部 第 4回 黒船来たる

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1990年01月28日44m

米国のペリー艦隊が江戸に現れ、世情が混乱します。老中・阿部正弘らは対応に苦慮し、騒ぎが治まらないうちに第12代将軍・家慶は世を去ります。斉彬は養女・敬子(すみこ・後の篤姫)を江戸に送り、いよいよ幕政工作に乗り出します。吉之助は妻・俊から妊娠を告げられ江戸行きを断念し、西郷家を支えていこうと心を決めましたが、参勤交代で江戸に上る斉彬のお供に吉之助が選ばれます。

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5

第1部 第 5回 江戸へ

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1990年02月04日44m

西郷家に江戸行きのお祝いの人々が訪れます。しかし送別会に大久保正助の姿はありません。出発の朝、正助からの手紙を読んだ吉之助は一目散に正助の家に走ります。自分だけ先に江戸に行くことになり正助に悪いと思っている吉之助と、そんな心配をさせまいと会うことを避けていた正助。二人の心は通い合い、吉之助は晴れやかな顔で行列に加わりました。江戸では、まもなく日米和親条約が締結されることになっていました。

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6

第1部 第 6回 庭方役拝命

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1990年02月11日44m

日米和親条約調印の3日後、斉彬と西郷吉之助が江戸入りしました。1か月後、吉之助は庭方役を命じられます。斉彬と直接言葉を交わす立場になり、天にも昇る思いでした。斉彬は吉之助を鍛え、自分の手足になる人材に育てようとします。しかしその斉彬が重体になり、吉之助は高輪不動で一心に全快を祈ります。その頃、薩摩では吉之助の妻・俊が流産して寝込み、正助と弟の吉二郎が江戸に知らせるべきかどうか思案していました。

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7

第1部 第 7回 篤姫お輿入れ

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1990年02月25日44m

老中・阿部正弘と幕政改革を進めていた斉彬は、篤姫を将軍に輿(こし)入れさせる準備を始めます。吉之助などは懸命の工作を続けました。安政3年(1856)、篤姫が13代将軍・家定の正室に決定し、吉之助は輿入れの調度品一切の仕度を任されます。輿入れ前夜、斉彬から初めて事の次第を知らされた篤姫は、政略結婚と知りながら、斉彬のためならと受け入れます。吉之助は篤姫のけなげな姿に必死で悲しみに堪えるのでした。

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8

第1部 第 8回 異変のきざし

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1990年03月04日44m

篤姫が輿(こし)入れした頃、将軍・家定が病弱なため、誰を世継ぎにするか対立がありました。老中・阿部や斉彬などは慶喜を推し、井伊直弼などは慶福を推していました。薩摩への帰国途中、斉彬と西郷吉之助は井伊の配下・長野主膳の手の者に襲われるほどでした。無事に帰った吉之助を家族は温かく迎えますが、妻の俊は流産後の肥立ちが悪く、迷惑をかけまいと西郷家を去ります。そんなおり、老中・阿部の死去が伝えられます。

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9

盟友・阿部正弘を失った斉彬は、慶喜の将軍擁立のため西郷吉之助を江戸に遣わします。阿部の死後、幕府内で井伊直弼が頭角を現し、工作の手は朝廷にまで及んでいました。大奥でも紀州派が優勢でした。老中・堀田正睦は朝廷の意向ということで条約問題や世継ぎの問題を解決しようと京に向かいます。堀田を側面から支援するため吉之助や橋本左内も後を追いました。こうして事態は一橋派に有利に展開するように思われましたが…

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スタッフ 0

演出: 監督は追加されていません。

脚本: 脚本家は追加されていません。

ゲストスター 0 すべての出演者・スタッフ

ゲストスターは追加されていません。

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10

第1部 第10回 斉彬出兵計画

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1990年03月18日44m

安政5年(1858)、大老となった井伊直弼は、ハリスの強硬な姿勢に屈して独断で日米修好通商条約に調印します。さらに慶福を将軍の後継者と発表しました。斉彬は朝廷警護の名目で出兵し、乱に備えようとしますが、病に倒れてしまいます。自らの最期を悟った斉彬は、弟の久光や側室の喜久らに自らの志を託しました。このとき、出兵の下工作で京にいた西郷吉之助は、主君の死をまだ知らなかったのです。

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11

第1部 第11回 大獄の嵐

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1990年03月25日44m

斉彬の死を知った西郷吉之助は、墓前で切腹しようとしますが、成就院の住職・月照にいさめられます。吉之助は、井伊大老の動きをけん制しようと、朝廷に働きかけました。その結果、井伊の動きを戒める天皇の命令が幕府と水戸藩に届きます。しかし井伊直弼はこれを握りつぶし、朝廷に勝手に働きかける者を処分するよう命じます。安政の大獄の始まりでした。月照の身辺も危うくなり、吉之助は月照と京を出て薩摩に向かいます。

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12

第1部 第12回 吉之助入水

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1990年04月01日44m

斉彬の死で藩内は一変し、吉之助は月照の投獄を命じられます。幕府の追及を恐れた藩は、吉之助を死んだことにして菊池源吾と改名させ奄美大島に潜ませます。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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13

第1部 第13回 正助の布石

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1990年04月08日44m

大久保正助は、島津久光に近づきます。そして久光に渡す古書の間に自分たちの名と忠誠を誓う書状を挟みました。久光の脳裏には正助の名が刻み込まれます。安政6年(1859)、久光は、実子であり薩摩藩主・茂久の後見を務めることになりました。江戸では井伊を斬(き)る計画が進んでいました。正助は挙藩一致の行動をめざして久光に計画を漏らします。これを受け久光は藩主名で藩を挙げて出兵するという論告書を出します。

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14

第1部 第14回 桜田門外の変

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1990年04月15日44m

万延元年(1860)3月3日、雪の降りしきる江戸城桜田門外で、水戸藩士が井伊直弼を襲撃しました。桜田門外の変です。井伊襲撃成功の知らせに、薩摩の藩士たちはいきり立ちます。「挙藩一致で出兵する時」と島津久光に進言する決意をした大久保正助は、久光と異例の対面を許されました。しかし久光は「出兵は時期尚早」と退けます。一方、奄美大島にいる西郷吉之助も、井伊が殺されたことを知らされて歓喜します。

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15

第1部 第15回 南国の女

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1990年04月22日44m

将軍の御台所として和宮内親王を迎え、公武合体を進める動きが起こります。島津久光は斉彬の遺志をふまえて、朝廷と幕府との仲立ちをすることを決意しました。大久保正助は名も一蔵と改め、御小納戸役として、久光に直接意見具申できる立場になります。一蔵は久光に、西郷吉之助を呼び戻すことを願い出ます。奄美大島の吉之助は、妻・愛加那が男児を出産し、一児の父となっていました…。

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16

第1部 第16回 吉之助帰る

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1990年04月29日44m

京で近衛公と対面し、薩摩に戻った大久保一蔵(後の利通)は、薩摩軍が京に上るという情報に勇み立つ者たちを鎮めるよう久光に命じられます。一方、西郷吉之助は3年ぶりに帰郷を許されました。しかし吉之助は上洛の準備不足を指摘して延期を進言したり、亡き斉彬と久光を比較するなど、久光にとって不快な発言をします。さらに、吉之助は下関で待てという命令を無視して上方に出発し、久光を怒らせてしまいます。

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文久2年(1862)春、島津久光は薩摩軍を率いて上洛します。久光から捕縛命令が出されていた西郷吉之助は、自ら大久保一蔵(後の利通)に捕まります。一方、吉之助の弟・信吾(後の従道)など急進的な薩摩藩士は、江戸に進軍する機をうかがっていました。久光は暴発を避けるために、彼らが潜伏する伏見の寺田屋に薩摩の藩士を向かわせましたが、不幸にも同士討ちになり、8人が命を失いました。

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18

第1部 第18回 公家攻略策

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1990年05月13日44m

船中に留められている西郷吉之助たちのもとに、京都から送還された弟・信吾が面会に訪れます。吉之助は寺田屋事件の真相を知り、大きな衝撃を受けます。一方幕政に大きな発言力を持ちたい島津久光は、大久保一蔵(後の利通)を京都に遣わしました。一蔵は久光の江戸行きに勅使を同行させるという提案を承諾させます。朝廷の威光と薩摩藩の武力で幕府に圧力をかける狙いでした。久光は幕政改革を推進するため江戸に向かいます。

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江戸に着いた島津久光と大久保一蔵(後の利通)は、精力的に幕府に働きかけました。一橋慶喜が将軍後見職になるなど、久光の宿願はやっと実りました。一方、徳之島に流されていた西郷吉之助のもとに、妻の愛加那が二人の子供を連れて会いに来ます。だが再会も束の間、吉之助に沖永良部への遠島が命じられます。また役目を終え京へ向かう久光の一行は、途中東海道生麦村で行列の前を横切ったイギリス人を切り捨ててしまいます。

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20

第1部 第20回 薩英戦争前夜

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1990年05月27日44m

イギリスは生麦事件の賠償として、法外な金額を幕府と薩摩に要求してきました。将軍・家茂と一橋慶喜は朝廷から外国を追い払う攘夷(じょうい)の実行を約束させられてしまいます。文久3年(1863)5月10日、長州は関門海峡を通過する外国艦船を砲撃しました。幕府とイギリスの交渉も決裂し、6月28日、7隻のイギリス艦船が現れます。若い薩摩藩士たちは敵艦に乗り込む奇襲作戦を計画します。

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21

第1部 第21回 慶喜の裏切り

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1990年06月03日44m

文久3年(1863)7月、大久保一蔵(後の利通)は、現れていたイギリス艦隊と砲火を交え、長樽を大砲に見せかける奇策などで、敵を撤退させます。一方、西郷吉之助は国の行く末を案じつつも、島の子供に学問を教え、無私無欲の哲学に近づいていきます。元治元年(1864)正月、政治の中心は京に移りました。雄藩大名が集まり、島津久光も官位を得ました。慶喜は実権を握ろうと画策し、久光と対立します。

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慶喜は攘夷(じょうい)を唱えて薩摩を孤立させようとし、島津久光は焦りを感じます。薩摩藩の中に西郷吉之助の召還を願う声が高まっていました。大久保一蔵(後の利通)は吉之助の弟・信吾に連判状を提出させ、久光はついに吉之助を呼び戻します。京都に集まっていた有力大名たちが帰国の途につき始め、久光は京へ到着した吉之助に軍の指令の役を申しつけます。時代は大名より下級武士が活躍するように進んでいきます。

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23

第1部 第23回 竜馬と海舟

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1990年06月17日44m

元治元年(1864)、新選組の池田屋襲撃に怒った長州が出兵してきます。慶喜は会津と薩摩に協力を求め、西郷吉之助は蛤御門付近の激戦で、長州勢を退却させました。そんな折り、吉之助を訪ねてきた土佐浪人・坂本竜馬は、「薩摩と長州が戦うことは幕府を喜ばせるだけだ」と説きます。勝海舟も「日本の将来は雄藩連合に託すべきだ」と語ります。征長軍の参謀である吉之助は、長州の処分を寛大に取り計らうよう画策します。

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24

第1部 第24回 新たな契り

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1990年06月24日44m

西郷吉之助が帰郷すると、島津久光から「嫁を迎えよ」と命じられます。実は大久保一蔵(後の利通)らの企(たくら)みでした。吉之助は祝言を挙げますが、慶喜らが再び長州に派兵しようとしていると聞いて京へ戻ります。一蔵は公家への工作を続け、吉之助は、薩長が手を結んで幕府の無謀を正す時だという坂本竜馬に同調し、幕府の長州征伐に反対する藩論を高めるため、竜馬を伴い薩摩へ戻ります。

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25

第1部 第25回 薩長同盟

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1990年07月01日44m

坂本竜馬は、西郷吉之助や大久保一蔵(後の利通)と薩長同盟実現に奔走します。長州の総帥・桂小五郎(後の木戸孝允)が上京しますが、薩摩への恨みから交渉は進みません。竜馬は憤激し、吉之助は藩の面目にこだわったことを詫(わ)びます。慶応2年(1865)1月、竜馬を立会人に、吉之助と桂の間に薩長同盟が結ばれ、倒幕勢力が結集します。

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26

第1部 第26回 討幕への道

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1990年07月08日44m

慶喜が第15代将軍となり西郷吉之助らは慶喜を牽(けん)制します。慶応3年(1866)10月、在京40藩の代表を集め、大政奉還を宣言しました。坂本竜馬は新政府の人事構想や新生日本の理想を熱く語りますが、1か月後、竜馬が暗殺されてしまいます。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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27

第1部 第27回 王政復古

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1990年07月15日44m

西郷吉之助らの決起の計画は土佐藩から将軍・慶喜に漏れますが、吉之助と大久保一蔵(後の利通)は動揺する岩倉具視を説得し、新政府の樹立を決定します。薩摩を中心とする同盟軍の出動により、王政復古の大逆転劇の幕が切って落とされました。慶喜は将軍職を辞し、徳川一万五千の兵と共に大阪城に籠(こ)もり、吉之助は慶喜の反撃に備えます。静かに、そして確実に動乱の空気が漂ってきました。

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28

第1部 第28回 江戸開城

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1990年07月22日44m

西郷吉之助は、徳川勢に対して臨戦態勢に入いりました。劣勢の慶喜は江戸へ戻り、立て直しを図ろうとします。しかし、江戸に着いた慶喜は敗戦を認め、勝海舟を使者に送りました。吉之助は七か条の条件を示して海舟と話し合い、江戸城総攻撃は中止されました。慶応4年(1868)4月、江戸城は無血開城され、ついに徳川幕府は滅亡しました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。

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慶応4年(1868)9月、年号が明治と改まり、東京に天皇が移ってきました。久光は、維新の成就は薩摩兵士たちの活躍によるものと上機嫌でした。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。 この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。

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30

第2部 第 1回 揺れる新政府

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1990年08月05日44m

維新後、西郷隆盛は鹿児島で悠々自適の生活を送っています。一方、大久保利通は東京で岩倉具視(ともみ)、木戸孝允(たかよし)らと新政府で奮闘していました。不満分子の鎮静に隆盛の上京が必要だという声が出ますが、大久保は退けます。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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31

第2部 第 2回 決意の門出

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1990年08月12日44m

明治3年(1870)12月、大久保利通は岩倉具視を伴って鹿児島入りし、島津久光、西郷隆盛に上京を要請します。久光は病を理由に上京を断り、薩摩藩主・島津忠義と隆盛を上京させることにします。隆盛は政府に対する二十五ヶ条の建白書を出し、大久保は建白書を承諾した時は隆盛が上京するとの約束を取り付けました。年が改まり、大久保と今後の政策について話し合った隆盛は、東京行きの意志を固めます。

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ついに西郷隆盛は上京しました。新しい政府で、隆盛は参議、大久保は大蔵卿となります。政権内部では、廃藩置県に向けて、さまざまな思わくが渦巻いていました。改革の断行には隆盛の力が不可欠としながらも、木戸孝允や伊藤博文は改革が政治改革までへと飛び火することを心配していました。そして薩長独占の政府を揺り動かそうとする肥前(佐賀)の江藤新平。事態は予断を許しません。

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33

第2部 第 4回 いけにえの牛

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1990年08月26日44m

明治4年(1871)7月、心配されたような大きな抵抗もなく、藩は廃止され、府と県に統一されました。廃藩置県です。西郷隆盛と大久保利通にとっては新国家のために避けて通れない政策でしたが、島津久光の怒りはすさまじく、薩摩から改革抵抗の火の手が上がるかのようでした。肥前出身の江藤新平や大隈重信は政権からの薩長勢力の追放を画策します。

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34

新政府内は不安含みでした。欧米視察団の団長に名乗りを上げて外交の中心に立とうとする大隈重信や江藤新平らの動きに対し、大久保利通は岩倉具視を全権大使とし、大久保自身や木戸などを視察団メンバーとして発表します。大隈は日本に残ることになりました。その頃、西郷隆盛に接近しようと政商・山城屋和助から札束入りの菓子折が届きました。それを知った薩摩の桐野利秋は激怒します。

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35

第2部 第 6回 留守政府分裂

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1990年09月09日44m

大久保たちの留守中、西郷隆盛は弟・従道から報告される政府高官の腐敗に心を痛めていました。そんな時、大久保利通と伊藤博文が突如帰国します。条約改正の全権委任状を取りに戻ったのです。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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明治5年(1872)春、西郷隆盛は鹿児島に帰郷しました。廃藩置県など新政府の政策に批判的な島津久光は、隆盛を裏切り者、不忠者と激怒します。一方、江藤新平による陸軍省の公金流用事件の調査は終わりに近づいていました。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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第2部 第 8回 遣韓大使志願

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1990年09月23日43m

欧米視察団の一員としてパリ滞在中の大久保利通は、東洋のビスマルクを目指すと意気軒昂(こう)です。その頃、日本政府は、山城屋の事件で大揺れでした。公金を流用した疑いで山縣有朋は辞表を提出します。西郷隆盛は健康を害していて、帰国した大久保は隆盛を見舞います。そして、対朝鮮国の問題が未解決のままでした。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。

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38

第2部 第 9回 大久保の決断

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1990年09月30日44m

参議に就任して西郷隆盛の朝鮮派遣に反対してほしいという伊藤博文の願いに、大久保利通は耳を傾けません。隆盛の身を案じる弟・従道も、兄の命を賭けた思いを知るだけに苦しんでいました。西郷家には渡韓に同行したいという壮士が押しかけ、直接隆盛を説得しようとした岩倉具視は逆に怠慢を責められる始末です。このような中、大警視・川路利良は、桐野利秋ら近衛兵の動きに懸念を抱き、密偵に探らせようと考えます。

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39

第2部 第10回 両雄対決

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1990年10月07日43m

明治6年(1873)10月14日、西郷隆盛の朝鮮派遣を巡って会議が開かれました。隆盛はすでに決定した話だと言い、大久保利通は時期尚早と反対します。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。 この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。

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40

朝鮮への使節派遣は西郷隆盛ら賛成派がほぼ勝利しますが、決定を目前に太政大臣・三条実美(さねとみ)が病に倒れました。反対派の大久保利通らは岩倉具視を太政大臣代理に任命して巻き返しに出ます。翌日、隆盛や江藤新平らは決定を守るように岩倉に迫りますが、岩倉は大久保の意を受けて懸命に踏ん張ります。こうして、朝鮮使節派遣は歴史の彼方(かなた)へ押し流されました。隆盛は辞表を提出します。

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41

第2部 第12回 東京政府孤立

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1990年10月21日43m

東京を去った西郷隆盛を追って、桐野利秋ら近衛兵も鹿児島へ向かいました。大久保利通は政府の建て直しを図りますが、反政府感情は高まるばかりです。一方、隆盛は狩猟や開墾に明け暮れる日々でした。江藤新平が訪れ決起を促しますが、隆盛は受け入れません。やがて佐賀士族が暴発し、佐賀の乱が起こりました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。

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42

第2部 第13回 佐賀の乱

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1990年10月28日44m

明治7年(1874)2月、大久保利通は江藤一派の反乱鎮圧のため、福岡に入りました。江藤側は次第に劣勢となり、志を貫くためと佐賀軍を解散します。江藤自身は西郷隆盛の所へ脱出し、共に起とうと説きますが、隆盛は断ります。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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江藤新平の処刑をはじめ大久保利通の強引なやり方に、鹿児島でも評判は芳しくありません。大久保はさらに台湾に出兵することにします。「これからの日本を引っ張っていくのは一蔵どん(大久保)の他にはおらん」と西郷隆盛は理解を示します。番組中に一部、現在では不適切な表現が含まれておりますが、放送当時の社会、文化状況を伝えるという趣旨から、修正等を行わずにそのまま配信いたします。ご了承ください。

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第2部 第15回 士族暴発

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1990年11月11日44m

明治9年(1876)、熊本、萩などで次々に士族の乱が起きていました。その勢いが鹿児島に飛び火することを心配して、大久保利通らは鹿児島の弾薬庫を撤収することを決意します。決起をうながす声に、西郷隆盛は真の敵は海外列強であり、反政府の性急な反乱はいかんと説得するほどです。そんな折り、密偵が鹿児島入りしたという噂が広がり、私学校生たちが火薬庫を襲撃する事件が起き、ついに隆盛は山を降ります。

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第2部 第16回 西郷軍挙兵

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1990年11月18日44m

鹿児島での火薬庫襲撃の知らせに、東京にいる大久保利通や西郷従道、木戸孝允たちも動揺を隠せません。大久保は西郷隆盛が担ぎ出されることを恐れ、私学校党の取りつぶしを命じます。しかし、時すでに遅く、大警視の川路利良が送り込んだ密偵は「政府から西郷暗殺の指令あり」との自白書を取られていました。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。

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第2部 第17回 西南戦争

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1990年11月25日44m

明治10年(1877)2月22日、迫り来る薩摩軍に向かって、熊本城から一発の砲弾が発射され、西南戦争の火ぶたが切られました。薩摩軍は政府軍の立てこもる熊本城を包囲し、攻撃をくわえます。京都で指揮を執る大久保利通は薩摩の弱点を指摘し、早期鎮圧の覚悟を固めます。激戦でも、政府軍は火力に勝っていました。全軍の指揮を桐野利秋らに委ねて前線から遠く離れている西郷隆盛の姿は捕らわれ人のようでした。

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第2部 第18回 故郷・城山へ

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1990年12月02日44m

薩摩軍は延岡で政府軍に包囲されました。その数は三千対四万と圧倒的に差がありました。本営の前で西郷隆盛は幹部を閲兵し、全員がこれで最後と覚悟を決めます。政府軍に従っていた隆盛の弟である従道は兄が前線にいると知って飛び出そうとし、大山巌に止められます。隆盛は全軍の解散を決意し、陸軍大将の軍服を火中に投じ、険しい山中を鹿児島へ向かいます。

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第2部 第19回 明日への飛翔 (最終回)

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Season Finale
1990年12月09日56m

明治10年(1877)9月24日未明、政府軍による城山総攻撃が始まりました。西郷隆盛たちは覚悟を決め、銃声砲声が轟(とどろ)く方向へ果敢に進んでいきます。激しい銃弾の中で前のめりに倒れた隆盛は、傍らの別府晋介に「もうここらでよか」と正座しました。別府が抜刀し、隆盛は城山の露と消えました。51才の生涯でした。隆盛の死は大久保利通の元へ伝えられ、薩摩の人々に大きな打撃を与えました。

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